巨大ロボットものの商業的な利点をうまく利用して、70年代成功したのが虫プロ系のサンライズである。
 商業的基板の緩さで失敗して、社員を路頭に迷わせた虫プロの反省から(ラーメン屋台を引いて糊口をしのいでいた人もいたという)玩具メーカーと手を組んでアニメ制作を開始した。
 その最初は1975年の「勇者ライディーン」である。
 しかしサンライズ(当時は創映社)は下請けであり、元請けやTV局から制作中盤で路線変更を指示され、あげくに監督であった富野喜幸は降板させられ長浜忠夫に引き継がれた。
 「勇者ライディーン」は結果として巨大ロボットものとしては良く出来た作品に留まった。