これは昔から思うことなのだが、中国文明というのは、文明としてはなかなかのモノで、唐の時代に頂点を極めたのだが、こと哲学的なレベルで言うならインド文明に遠く及ばなかったと言えよう。

 中国文明の中ではもっとも高度だと思える老荘思想にしても、仏教哲学からすると、二流の哲学であるとしか言いようがあるまい。

 ましてや、中国の士太夫層の中で主流だった,儒教などは、哲学以前の道徳でしか無く、しかも道徳としても欠陥だらけの代物だった。

 中国文明は儒教によって滅んだ。

 そう言って過言ではあるまい。

 一例を挙げる。

 儒教によると、親が犯罪を犯して逃げてきたら、子は嘘をついて親をかくまわなければならないとなっているそうである。

 呆れる。

 これは「公」よりも「孝」を第一とするという、言い換えれば「公」よりも「私」を大事にするというとんでもない道徳である。

 人間は「公」よりも「私」を大事にしがちな生き物だ。

 だからこそ、道徳では私よりも公を優先にせよと教える。

 親が犯罪を犯せば自首を勧めるのが当然である。

 少なくとも日本ではそうだ。

 ところが儒教ではその逆を教える。

 こんなもの哲学どころか道徳でさえない。

 単なる我欲の追認である。

 ましてや、親のためにつく嘘は不道徳に非ずという考えに至っては何をか言わんや。

 こんな「道徳」がまかり通る国がまともになるわけがない。

 なるほど、それで韓国に偽証罪があれほど多い訳か。

 嘘を言うことが「道徳的」なのだから当然なのだろう。

 韓国人が「息をするように嘘をつく」と言われるのもむべなるかな。

 親や、先祖を良く見せるためにつく嘘は不道徳ではないのだから、歴史の捏造なども極めて道徳的な行為となる。

 また一族ぐるみの犯罪が、何故あれほど多いかも判るのである。

 頭が痛い。

 こんな道徳というか反道徳的「道徳」を持つのが隣の国、中韓なのだから、日本のように西欧のモラルに近いモラル体系を持っている国にとっては、中韓とは、特に韓国とは根本的に相容れない。

 この問題をまず自覚しないことには、中韓に未来はないと言えよう。