部屋を片付けていたら、一太郎ver.4~ver.8の箱がマニュアル等と一緒に出てきた。
思えば一太郎とは無印(ver.1)からのつきあいだ。
1984年だったか。
一太郎があったから98を買い、その後の日本におけるPCムーブメントに乗ることが出来た。
98からDOS/Vに変わっても一太郎は変わらず愛用のソフトだった。
それがいつしかマイクロソフトの抱き合わせ商法に乗ったWORDというソフトにその日本標準ソフトの座を追われ、マイナーソフトに落ちぶれていった。
私はと言えばワープロソフト自体を使わなくなっていた。
しかし、日本語ソフトは変わらずATOKのままである。
MS-IMEは何度か使ってみたが、あまりの完成度の低さに放り出した。
今、4から8の箱を見ると4と5が一番箱が立派だ。
その後はよく言えば簡素化していく。
一太郎の歴史を表しているように思う。
今でも一太郎はWORDなどよりずっと優れていると思いはするが、特に優れたソフトが求められていないのである。
WORDもまた時代から取り残されつつある。
今の私は一太郎使いと言うよりもATOK使いである。
パソコン(とは限らない)上で日本語が使われる限り、ATOKを使い続けることだろう。
思えば一太郎とは無印(ver.1)からのつきあいだ。
1984年だったか。
一太郎があったから98を買い、その後の日本におけるPCムーブメントに乗ることが出来た。
98からDOS/Vに変わっても一太郎は変わらず愛用のソフトだった。
それがいつしかマイクロソフトの抱き合わせ商法に乗ったWORDというソフトにその日本標準ソフトの座を追われ、マイナーソフトに落ちぶれていった。
私はと言えばワープロソフト自体を使わなくなっていた。
しかし、日本語ソフトは変わらずATOKのままである。
MS-IMEは何度か使ってみたが、あまりの完成度の低さに放り出した。
今、4から8の箱を見ると4と5が一番箱が立派だ。
その後はよく言えば簡素化していく。
一太郎の歴史を表しているように思う。
今でも一太郎はWORDなどよりずっと優れていると思いはするが、特に優れたソフトが求められていないのである。
WORDもまた時代から取り残されつつある。
今の私は一太郎使いと言うよりもATOK使いである。
パソコン(とは限らない)上で日本語が使われる限り、ATOKを使い続けることだろう。