侍の理想は、鞘の中の刀身を常に研ぎ澄まし、そしてその刀を生涯使わないことだという話を聞いたことがある。

 言わば武装平和主義、「治にいて乱を忘れず」の思想だ。

 思えば江戸時代というのは、その武装平和主義の時代だった。

 いや、「武装」というのは間違いだろう。

 具体的な江戸時代の戦力などは、戦力の質としては幕末時にあまり役に立たないものだった。

 言わば精神の武装であろう。

 精神の武装さえあれば、武器の質的な遅れなど、短期間で取り戻せるものだからだ。

 そして日本が平和主義を捨てたのは、まさにアジア諸国が欧米に屈し、その手が日本にまで及んだときだった。

 明治維新から第2次大戦までの100年近く、日本はアジアの解放のために戦い、そして勝利した。

 まず日清戦争で世界デビューし、日露戦争で強国ロシアを破り、世界中の植民地化された国々を目覚めさせ、第一次大戦を経て、唯一の非白人国家として強国と認められた。

 1919年、国際連盟の舞台で「人種的差別撤廃提案」を行ったが、11:5で賛成多数であったにも関わらず議長であったアメリカが突然全会一致が必要と主張したため、この提案は潰されることになった。

 その後、アメリカで排日移民法が決まるなどして、アメリカとの関係が次第に悪化し、日米開戦に至る。

 第2次大戦によって、日本はアジア諸国を力ずくで解放し、日本の敗戦後もアジア諸国は植民地に戻ることを拒否し、1950年代の「アジアの時代」を現出した。

 言わばアジア解放を成し遂げた段階で、日本は軍事大国としての役割を終え、また昔の「平和主義国家」に戻ることを選んだ。

 こう考えると明治維新以後の日本の行動は納得がいく。