怒濤の映像、怒濤の音楽、そして怒濤の意味。

 23話を費やして描いてきた「輪るピングドラム」の集約点がこれだ。

 視聴者の感想を色々見てみたが、肯定するにしろ否定するにしろ「意味」にばかりこだわって、あの超絶的な映像と音響をえらく軽視しているために、隔靴掻痒というか、「輪るピングドラム」という作品の本質から外れているという感じしかしない。

 一番正しいのは、「訳がわからないけど感動した」というものだろうなあ、現時点では。

 もちろん意味性を軽視しろと言うわけではないが、それにばかりこだわれば、作品評価としてはいびつにならざるを得ない。

 血を噴出し、最後ガラスのかけらとなって消滅する冠葉。

 この痛さ、そして美しさ。

 視聴者は彼らと「痛み」を共有し、そして涙した。

 劇中人物の痛みを視聴者に共有させてしまう作品。

 これはありそうでない。

 もしくは出来そうで出来ない。

 究極の「表現主義」。

 それを成し遂げた「輪るピングドラム」は間違いなく伝説となる。

 幾原邦彦は間違いなく天才、いや「神」と言っても良いかもしれない。

 最後で彼は、かつての「美少女戦士セーラームーン」も「少女革命ウテナ」も越えてしまったと言っていいだろう。

 この作品は2011年を代表するアニメなどというレベルではもちろん無い。

 21世紀の映像作品全体にとって、高らかに上がった凱歌である。

 願わくば一日も早く幾原邦彦の新作を見たい。

 まずは、「輪るピングドラム」劇場版だろうか。

 別の解釈による「輪るピングドラム」を見てみたいと強く思う。