8月6日の広島に比べるといささかマイナーだが、長崎原爆記念日だった。

 長崎に落ちたのは、広島のウラン原爆に対して、プルトニウム原爆だったはず。

 プルトニウム原爆はウラン原爆に比べて作りやすい。

 ウラン原爆のようにウランを高濃度に濃縮しないといけないということがないからだ。

 このプルトニウムは、原子力発電所を稼働させておけば自動的に作られる。

 というか、アメリカでプルトニウム製造プラントを作ったら、それがものすごい熱を出すことに驚いて、発電に転用しようとした、というのが原発の始まりなのだけれどね。

 それが自民党政府が原子力発電にあそこまでこだわった本当の理由だというのは、原子力関係に多少なりとも知識のある人間にとっては当たり前のことだ。

 要するに、その気になればすぐに核兵器を作れる状態にしておくということだね。

 米ソ冷戦下においては、それはそれなりに意味があったと思う。

 しかし今、そこに意味があるかどうか。

 単なる利権屋の巣窟と化しているのだよね、原発推進派というのは。