原発事故は、大型発電所時代の終わりを加速する。

 地産地消という言葉がある。

 その地域で取れたものを、その地域で消費するという意味だ。

 そうすれば輸送の費用や時間の問題が無く、効率的に使えるという。

 これのエネルギー版である。

 エネルギーの分散処理と行っても良い。

 現在の大発電所を中心とする発電システムは、かつての大型機を中心としたコンピューターシステムのようなものであり、時代遅れなのである。

 そしてエネルギーの分散処理にもっとも適しているのは太陽エネルギーである。

 太陽エネルギーは薄く広く遍く拡がっている。

 そしてユーザーも広く拡がっている。

 世界中の何処でも行うことが出来る。

 太陽エネルギーの反対論者の多くは、旧態依然たる大型発電所の感覚で考えているのである。

 薄く拡がった太陽エネルギーを苦労して集めて、また薄く拡がったユーザーに分配するなどバカの極みである。

 ユーザーのところで発電する。

 それが正しい。

 もちろん太陽エネルギーを主とするとしても、水力や風力、地熱などを併用し、もちろん蓄電装置も使う。

 太陽エネルギーの反対論者が使う論拠の一つは、太陽エネルギーは稼働率が12%しかないということだ。

 しかしだからなんだというのだろうか?

 もっともエネルギー消費が大きい昼間、特に夏の昼間に発電量が最大になる。

 そして電力消費量が少ない夜には発電しない。

 結構ではないか?

 これが逆だったら困るがね。

 最近読んで爆笑したのが、太陽エネルギーは雨の日には発電がゼロになるというものだ。

 そこでは雨の日は真っ暗になるらしい。

 低下はするがゼロにはならない。

 仮に1%まで低下するとして(どんな雨だ?)必要量の100倍の発電量を保持しておけば良いだけだ。

 まあ、蓄電装置の活躍でそんな発電量は必要ないだろうがね。

 未だに御用学者どもは、太陽エネルギーはコストが原発より何倍も大きいなどと言う。

 この事態になってもそんなことを言う連中は信じられない。

 賠償金を値切りまくって、コストが安いなど言語道断。

 本来観光客が激減した分も保証すべきだろう。

 そんな考えは毛頭無いようだが。

 太陽エネルギーは、クリーンであり、あと50億年もつのである。

 未来への投資として、未来に大量の放射性物質という禍根を残しまくる原発と比較するのも馬鹿げている。