季刊「邪馬台国」に曹操の墓についての記事が載っていた。

 何故日本史である邪馬台国の専門誌に、中国史に属する曹操の墓の記事が?と訝しがる人もいるだろうし、それについての特に説明は載っていなかったが、おそらくこういうことだろう。

 要するに邪馬台国の女王卑弥呼は「親魏倭王」なわけだ。とすればその墓は魏の墓の影響を受けていると考えてもおかしくはあるまい。

 とすれば魏王朝の実質的な創始者である曹操の墓を研究することは卑弥呼の墓についての研究に役立つだろうと考えてしかるべきだろう。

 とにかく邪馬台国論者の中には、「魏志倭人伝」の魏とは曹操が作ったあの魏であるということも、曹操が薄葬を遺言し、その通りに墓が作られたことも知らずに、邪馬台国を論じている場合が少なくない。

 愚かなことである。

 ところでこの記事は、曹操の墓を巡っての諸説を記して、発見された墓が曹操の本物の墓であるかどうかという点には慎重な書き方をしている。

 それはそうである。

 おそらく今後百年かけて研究すべき問題だろう。

 この墓は1800年も埋もれていたのだ。

 今更100年やそこらが何だろうか?