両班というのは、要するに怠惰な支配階級ですね。もちろん何処の国でも支配階級に怠け者はいるが、それが肯定されることはない。恥ずべきこととされている。

 ところが両班の場合は、働くことは恥であり、忌むべきことなのである。

 それはたばこの火をつけるようなことから、毎朝の洗面さえもが人にやらせることが誇りであり、尊敬される要素だと信じられていたのである。

 そこいらへんの話を聞くとほとんどギャグである。

 逃亡するときに走れないため捕まりそうになったとか、洗面台に頭を下げないから洗面のたびにずぶ濡れになるとか。

 子供の頃に読んだ、怠け者の国の話のようである。

 よもやその作者も本当にそんな「怠け者の国」が実在するとは思わなかったでしょうね。

 そしてその怠惰さを肯定する論理的背景に儒教がされているのである。孔子が聞いたらびっくりするだろう。

 おそらく元々は上流階級が楽をするためにそういう理論をでっち上げたのだろうけれど、李朝500年の間に、労働忌避が義務のようになってしまったのだろう。

 もちろんその忌避された労働を押しつけられる他の階級の人間にとってはたまったものではない。

 こうして「朝鮮」という国が作られていったのだろう。そしてそれは現代の韓国においても根強く残っているのである。