昨年からNHKで朝鮮半島2000年という番組をやっています。日本と朝鮮半島の関わりを2000年にわたって描いたものです。
 その中で、第6回のテーマが元寇でした。しかし、この回だけ見逃していたのが、最近再放送があり見ることができました。
 そこで少し考えることがありましたので書きます。

 よく日本を平和ボケという人間がいます。特にネットの一部に多いのですが、言っている人間が平和ボケしている場合が多いので、苦笑するしかありませんが。
 それに平和ボケというよりも、島国ボケというほうが正確でしょう。なにしろ、日本の2000年にわたる歴史において、19世紀に至るまで、日本において「戦争」とはほぼ=内乱のことだったからです。

 日本は、島国という地勢的な特性のために、外部からの侵略が極めて難しいのですね。
 これは過去においてだけではなく、現代においてもそうです。

 海に囲まれた日本は、有史以来外国に征服されたことが無く、外国からの侵攻自体ほとんど受けたことが無いという世界的に極めて珍しい恵まれた国だったのです。

 島国ボケ2000年の歴史は半端じゃあありません。
 秀吉の朝鮮出兵など島国ボケ以外の何者でもありません。
 少なくとも秀吉が平和ボケなわけは無いでしょうが、朝鮮も明国も簡単に落とせると信じていたあたり、典型的な島国ボケですね。

 さて、その唯一とされる例外が元寇なわけです。(刀伊の入寇など九州だけで防いだ侵略事件はあるのですが)

 しかし、その元寇にしても、主に九州の侍の力だけで水際で防いだものだから、九州以外では、なんとも危機感がありませんでした。当時、京都で書かれた小説が残っていますが、元寇のげの字もありはしません。

 日本にとっては、京都が元軍に占領され、鎌倉が落ちるかどうかというところまで追い詰められたほうが良かったかもしれませんが、そうするとそう都合よくはいかず、完全に制圧された可能性は高いですね。

 元寇の勝利は、防塁によって元軍の上陸を断固阻止し、陸上に橋頭堡を築かせなかった日本側というか、九州側の作戦勝ちです。上陸できなければ、船を拠点にするしかなく、いずれ天候が崩れて艦隊が甚大な被害を受けるのは時間の問題だったわけです。
 もし、元軍が上陸していたら、台風が来ても、軍団そのものには何の影響もなかったはずです。

 ところがその作戦勝ちが神風信仰に乗っ取られてしまった。
 それは、元寇に何の功績も無いはずの寺社仏閣が、自分たちの祈祷のおかげで生じた神風によるものだと言いたて、実際に戦った侍たちより多くの恩賞をもらったなどという馬鹿げた事実があるわけです。

 かくして、その後々の時代に、元寇は見事な作戦勝ちではなく、神頼み的な「神風信仰」として伝えられてしまったわけです。その後、日本は他から攻められることは無かったですから「神風信仰」は否定されないまま20世紀まで残ったわけですね。

 ただ、第2の元寇はそうですが、最初の元寇の時はもちろん防塁は無く、日本側はいいとこなく敗退し、博多の町は炎上してしまいました。ところが元軍は1日で帰ってしまったのですね。その理由は矢が尽きたためとなっています。何故、十分な矢を準備していなかったのでしょう。

 これは、朝鮮で抵抗を続けた三別抄のためのようです。彼らは、高麗王朝が降伏(これも30年近く抵抗した上で敗れたのですが)した後も、王族を立てて抵抗し最後は済州島を本拠としてゲリラ戦で戦い、それをつぶすために、元は対日戦略用の船舶や武器を使ってしまったようなのです。矢が足りなかったのはそのためでしょうか。

 ちなみに三別抄が滅んだのは、1273年。最初の元寇は1274年です。

 そして3回目の元寇が無かったのは、元軍をゲリラ戦で破ったベトナムのおかげのようです。ベトナムは昔からゲリラ戦が強かったのですね。

 大国と戦って勝つにはゲリラ戦しかないのですが、日本は、海に守られていることをいいことに、ゲリラ戦が発達しませんでしたね。

 日本は、元に抵抗する国々と日本の最前線で戦った者たちの力で元寇を乗り切ったのですが、日本の中央は何の根拠も無い自信を持っただけで、何も役立てませんでした。

 1945年の敗戦まで、その神風信仰が続くことになったわけですね。