日本の邪馬台国研究家は、卑弥呼の墓は100メートル以上ある大きなものだったと思い込んでいるようですが、それはどうでしょうか。

 卑弥呼は親魏倭王です。その魏の皇帝が小さな墓に埋葬されているのに、そんな大きな墓を作るのはどうなのでしょう。卑弥呼は当然魏の葬儀は知っているはずですし。

 私は魏国にならって、卑弥呼の墓は小さな墓だったのではないかと思っています。

 特に倭国の墓は、棺はあっても槨(棺を入れる箱)は無く、土を積んで冢(つか)を作ると書いてありますから、そういう意味でも余り大きな墓ではなかったという印象があります。