さて、文献学者の間では、邪馬台国九州説で決まっていると言います。
 当然でしょう。

 ところが、近畿説論者は「近畿説でもう決まっている!」等と言います。
 最近、近畿地方の纏向遺跡が、「これこそ邪馬台国に違いない」といったマスコミ報道がなされており、それを信じている人も多いと思います。

 文献は明らかに北部九州を示しているにもかかわらず、彼らは何故そういうことを言うのでしょうか。

 その前に、「旧石器捏造事件」というものをご存知でしょうか。当時マスコミにも大きく取り上げられた事件です。

 簡単に言えば、自分で「旧石器」を古い地層に埋めて、自分で発掘した事件です。毎日新聞の記者が張り込んでその現場をつかまえ、暴露されました。

 恐ろしいのは、これは1970年代に遡り、実に30年近く、この捏造が行われていたということですね。長期間にわたって行われた捏造の結果、日本の旧石器時代はどんどん古くなっていました。

 この事件は捏造した本人がすべてひとりでやったことにされ、他は全く責任を追求されませんでした。(本人も刑事責任は問われていない)しかし、その捏造石器を本物と鑑定した考古学者、そして、捏造結果を30年近くも容認していた考古学会に責任が無いなどと思えるでしょうか。

 今回、近畿説で決まりだ!等と主張しているのは、この旧石器捏造事件を、誰も責任を取らぬまま終わらせた人間だったりするのですね。
 箸墓古墳や纏向遺跡も捏造考古学会が新たに捏造をはじめた。そう考えるべきでしょうね。

 そもそも炭素年代法は200年ぐらいの誤差が生じるのです。

 最近、クレオパトラの妹の墓が見つかったという考古学上のニュースが流れましたが、これも炭素年代法で判った200年ぐらいの幅がある年代から、他の考古学的な証拠を詰めていって、クレオパトラの妹であるという結論を出したのです。
 それは納得できます。

 しかし、箸墓古墳は年代の幅に、卑弥呼の時代が入っているという理由だけで、卑弥呼のものとしてしまっているのですね。考古学的には、全く逆な遺物が出ています。鐙が出ているのですね。鐙は4世紀後半にならねば中国からも出ません。ならば箸墓古墳は早くとも4世紀後半のものです。
 しかし、この考古学的な事実は「考古学者」の手により無視されています。

 纏向遺跡が大和朝廷の前段階の遺跡であることは確かでしょう。しかし、それと邪馬台国を=で結ぶのはこじつけ以外の何者でもありません。

 彼らは、文献の自分たちに都合の悪いところは、間違いだとか、誇張だとか言います。

 文献を信じないなら、文献にしか出てこない邪馬台国という名前など使わなければよいはずです。

 にもかかわらず、彼らは邪馬台国に異常にこだわります。何故でしょうね。何か裏があるのかもしれません。