つらつらと。。 | ミラネーゼのブログ: ~限りあるいのちのつれづれ日記~

ミラネーゼのブログ: ~限りあるいのちのつれづれ日記~

生まれてきたかわいい次男。そんな次男も2年2ヶ月で、空に帰っていきました。
病名発覚・厳しい宣告から立ち直っていくまでの過程と、何もわからないところからスタートした母の手さぐりの毎日、そしてその後のママの思いをつづっています。

ゆづとお別れして ・・・ もう1年と7ヶ月??



普段、どれくらい時間がたったのかは、数えてない。



ただ、強烈に覚えているのは、あの夏に、ゆづとさよならしたこと。




それが、いつの夏だったのか・・・ 昨年なのか、一昨年なのか、



ときどき、数字で確認しないと、わからなくなってしまう (←ほんとに)




あのころは毎日毎日の病院通いがたいへんで、



はやく、元いた病院にもどりたいと毎日がんばっていたのだけど、



突然、ゆづは、さよならしてしまった。



思いもよらないタイミングで。





亡くなったあと、ゆづの棺を火葬に連れていく前に、



もといた病院の裏手に、ほんのすこしだけ立ち寄らせてもらった。



誰だったのか、看護師さんの声が聞こえた。




「亡くなるときは、うち(病院)で、最期を看てあげたかった・・!」



わたしには一生忘れられない、聞いた言葉のひとつだろうな。。



そういう看護師さんが、日々ゆづに接してくれたということ。



ただ、わたしも、ゆづも、幸せだったな。



あの病院で過ごすことを選んで、ほんとうによかった。






それから闘病中のゆづに関わってくれた、おおぜいの皆さん。



数々の私の配慮のいたらなさ、不備・不手際。



ふり返ると今さらながら、ほんとうに申し訳なく、反省してます。



放っぽりぱなしだった、長男にも。。。







ゆづの死まで、・・そしてその後のことも。



いざ、ブログにしようと思うと、これがむずかしかった。



世の中にはいろんな立場の人がいるのに、書いていいのかとためらう気持ちと、



恐らく、自分は非常識なんだろうなとおもう気持ちと、



頭の中では思い出せるのに、書くのは、精神的負荷がかかる。



時系列にするのが、苦しい。



いくつもの転てつ機は、ゆづを死に誘う方向へ動いたのが、ふりかえってみるとわかるから。。





思い出せるところから始めればいいのかもしれないけど、



読んでくださる方にとっては、



話があっちゃこっちゃに飛んでしまっては、わかりにくいだろうね。






あたしは、気にしすぎかな。



もっと気楽に、自由に書けばいいのかな。