ICUでのゆづ ~回想記~ | ミラネーゼのブログ: ~限りあるいのちのつれづれ日記~

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生まれてきたかわいい次男。そんな次男も2年2ヶ月で、空に帰っていきました。
病名発覚・厳しい宣告から立ち直っていくまでの過程と、何もわからないところからスタートした母の手さぐりの毎日、そしてその後のママの思いをつづっています。

母親としての、あたしは、まぬけだった。



ICUにすぐ移されたゆづは、それでも、助かると思っていた。



震える想いで、はじめてICUの中に通され、かなり奥のほうにある



ベッドまで案内された。



ようやく、ピンクの服をきている小さなゆづをみつけ、かけよって声をかけた。



先生のいう通り、確かにゆづは意識がないような、ボーっとした状態だった。



担当の救命医がきて、手早くあいさつし、状態をうかがった。



脈が低下していたゆづは、先手をとって、あらかじめ、



人工呼吸器がもう装着されていた。




かわいらしかった上の階の病棟とはうって変わって、ICUはただ



命を助けるためだけに、ひどく殺風景に、効率よく作られているのがわかった。



救命医が何人もおり、しずかながら、手早くうごきまわっている。




それから、主治医がきて、説明があった。



このころの説明は、よく覚えてない。 



ただ、覚えているのは、いま点滴のルートは一本は確実に取れていること、



強心剤や呼吸器をつかって、しっかり管理をおこなっていること。 



現在の状況からみて、ゆづきくんは恐らく大丈夫だと思うが、



この3日間は突発的なことも起こりうるので、ICUで過ごす、ということ。



「突発的なことって、たとえばどんなことですか? 」と、たずねた。



不安はみんな、解消しておきたい。



「たとえば強心剤に、反応しなくなるとか・・」と、いくつかの例をあげてくれた。



(あ、それなら大丈夫だ。)



あたしは、安心してしまった。




パパとあたしができるのは、ただ、ゆづのそばにつくことだけ。



危機的状況のゆづに、できることは、なんにもなかった。



ただ、優しく手をにぎったり、髪や、顔をなでただけ。



このときの時間軸は、はっきりしてない。



たくさんのカテーテルで、ゆづはスパゲティ状態。



ひんぱんに、救急医が様子をみにきて、大きなシリンジで、何か手で薬液を



少しずつ、決まった間隔で、投入していた。



輸血も2種類、同時におこなわれていた。



身体が冷えないよう、銀色のかけものも、しっかり施されていた。




ここは専門病院だもん。 



敗血症のときだって乗りこえたし、ゆづは今回だって乗りこえられる・・!





心配だったけれど、治療をゆだね、たぶん大丈夫と、信じきっていた。



当時のブログで言うと、「容体」の記事をアップしたあとのこと。



ダメだとわかる 2~3時間前のことです。



ケータイで、不安な心境をつづっていました。



「容体」 ・・ 亡くなる前日の記事
http://ameblo.jp/mlns-can/entry-11572897490.html