ジョイスとシルヴィア・ビーチ(真ん中)
この本屋さんはとても歴史のあるお店です。本の販売だけでなく、1万冊の蔵書がある英語の文学専門の図書室もあります。
現在のお店は二代目の店舗なのですが、きょうは今とは違う場所にあった初代の店舗について書きます。
では、Wikipediaから初代の店舗の歴史のまとめ。
・1919年 ニュージャージーから来たアメリカ人女性 シルヴィア・ビーチ Sylvia Beach(1887–1962)によって開かれた。場所は現在とは違いデュプイトラン通り8番地 8 rue Dupuytren 後にオデオン通り12番地 12 rue de l'Odéon
・店主のお眼鏡にかなった書籍が集められた図書室あり。
・第二次世界大戦 la Seconde Guerre mondiale 期まで、パリにおける英米の文化の中心地 le centre de la culture anglo-américaine à Parisとして機能する。
・ロスト・ジェネレーション* « Génération perdue »の作家であるアーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway、スコット・フィッツジェラルド F. Scott Fitzgerald エズラ・パウンド Ezra Pound、またガートルード・スタイン Gertrude Stein、ジェイムズ・ジョイス James Joyceなどがこの店に集う。
ヘミングウエイ、フィッツジェラルド、ジョイスは有名な作家。パウンドは詩人、批評家、スタインは美術コレクター(この人の記事は前に子ども新聞で読んだことがあります。そのうちブログにアップします)。
・ヘミングウエイは「移動祝祭日 Paris est une fête」という小説にこの店のことを何度も書いている。また、この店では、英米で発禁処分になったロレンス D. H. Lawrenceの「チャタレイ夫人の恋人 L'Amant de lady Chatterley」も入手できた。
・1922年、英米で発禁処分を受けていたジョイスの「ユリシーズ Ulysse」の最初の出版元となる。
・1941年12月 第二次世界大戦中、枢軸国によるフランス占領のために閉店。
ドイツ人士官にジョイスの「フィネガンズ・ウェイク Finnegans Wake」を売るのを拒否したため閉店を命じられたといわれている。
以上、ソースはShakespeare and Company - Wikipédia
*第1字世界大戦中に登場し、1920年代に名声を確立した一群のアメリカ作家たち。戦後社会への幻滅、既成の価値観への反発、伝統との断絶を感じ、母国を捨て、パリなどに住み、反抗的な享楽主義にふけっていたアメリカ青年たちを揶揄して、ガートルード・スタインがそう呼んだことによる。
彼らの生活はヘミングウエイの「日はまた昇る(1926)に端的に描き出されている。ヘミングウエイ、F.S.フィッツジェラルド、ドス・パソス、E.E.カミングスなど。・・・ブリタニカ大百科事典より
こちらはシルヴィア・ビーチのインタビューなどが入っている動画。初代の店の写真もあります。ユリジーズの出版にいかにお金がかかったか語られています。
シルヴィアさんがいなかったら、ユリシーズは世に出なかったかもしれないですね。
英語 5分30秒
興味のある方はごらん下さい。
次回、シェイクスピア・アンド・カンパニー その2 では、現在の店舗をとりあげます。