まかさんとWOWOW『芳雄のミュー』に出演された際に、ちえさん(柚希礼音さん)が「凄く、謎の美女だぞ!というナンバーがある」「皆が歌ってくれる」と仰っていたんです。

一体どれ程に謎の美女だと讃えられるのだろう?と、観劇時にはそのナンバーを注意深く聞きこうと期待していました。


そしてあのボーマニャンが肖像画を用いてジョゼフィーヌ・バルサモ、つまりカリオストロ伯爵夫人がどういう人物かを語る場面を見た時に思ったのは、上手いな!ということ。

原作にもシチュエーションは違うのですがボーマニャンが同じように説明する場面はあって、歌詞もほとんど小説の台詞を踏まえているのが良いなぁとなりました。


そして二十世紀騎士団の重厚なハーモニーも最高。

そりゃこんなに歌われちゃ、謎の美女役として震えるのは分かる気もします。


で、ですよ。

その肝心の歌詞で、いや『LUPIN』の中でぶっちぎりで気になるのがジョゼフィーヌをメデューサに例えること。

いや、なんでメデューサやねん!


そもそもメデューサ、数ある神話に登場する怪物の中でも特に美しいというわけではありません。

そして人間を誘惑する能力もない。

美貌と不思議な魅力で男達を夢中にさせてきたという歌詞に登場するには相応しくないキャラクターなんです。


ただし、よく知られた髪が蛇の状態でのメデューサが美しくないという前提はありますよ。

元々の容姿から醜く姿を変えられたというのを踏まえたら、美しくないと言い切るのは彼女に失礼かもしれません。

なんたって美貌故にポセイドンの愛人であったこともあるくらいですし!

ただ神の怒りを買ったばかりに、皆が思い浮かべる怪物となったのでイコール美しいキャラクターとはならないじゃないですか。

だってメデューサと聞いて怪物になる前の彼女を思い浮かべる人がいます?!


メデューサは三姉妹なのですが、妹が可哀想!と神の仕打ちへ抗議した姉達までも同じ姿に変えられています。

その姉妹の内ただ1人メデューサだけが不死ではなかったという可哀想な要素あり。

この不死ではないというのも、百年以上も存在しているだなんて!という歌詞にハマらないと思いませんか。

何故そんな怪物にジョゼフィーヌを例えるのかが全く分からないんです。


人間を誘惑するキャラクターというのは結構世界中に存在しています。

有名なのは悪魔、中でもルシファーじゃないでしょうか。


そう、ボーマニャンが歌うルシファー。

これ面白いなとなるのは、二十世紀騎士団の頭目である彼を泥棒と罵るデティーグ男爵ですが、実のところ片棒を担がされているというところ。

まさに悪の道へと誘うルシファーだよなぁと思わなくもないです。

…まぁそんな気が本人とイケコにあるのかは謎。

ボーマニャンは格好良いから名乗ってるだけかもだし、むしろそっちのが本命でしょう。


ボーマニャンに自身をルシファーに例えるセンスがあるのなら、尚更ジョゼフィーヌをメデューサとは呼ばないのでは?となるんです。


大体メデューサの能力ってよく知られている通り、見る者を石化すること。

そうなるとジョゼフィーヌの魅力は相手を石化してしまうってこと?となるのも変じゃありませんか。

それとも元カレのボーマニャン、俺は石化されていたから仕方がなかったんだと言い訳をしているとか?

でもそれだってどういう意味やねん!となりますよねぇ。


実のところジョゼフィーヌを何かキャラクターに例えるのならピッタリの怪物は別にいるんです。

セイレーンという美しい歌声で船乗りを誘惑し、心を奪う存在。

その歌声を耳にすると抗えず船は難破してしまうといいます。


美しさで誘惑するというのがジョゼフィーヌにハマるのですが、何よりも「セイレーン」こそが合うって言い切れるのは原作でラウール・ダンドレジーが彼女をそう例えているからなんですよ!


抗うことの出来ない存在として、そう呼ぶのはクライマックス。

私の買ったハヤカワ文庫版には「魔性の女」に「セイレン」とルビがふってあります。

そしてラウールは彼女を傷つけることが結局出来ないというのがまたドラマティックなんです!


…これを確かめる為にまた読んだよ、原作を。

出てこないじゃん、メデューサ。


それどころか財宝を巡ってルパン、ボーマニャン、ジョゼフィーヌと三つ巴の戦いの最中、その敵である二人の前に身をさらしても無事でいられる程に美しく、殺意どころか戦意すら奪ってしまうカリオストロ伯爵夫人。

どんなに美しいんだってなるじゃないですか。

一瞬でもセイレーンの歌声を聞けば我を失うように、一目見た者を魅了するだなんて!


いや、本当にラストのとどめが刺せないところメッチャ良いので是非読んで欲しい。

ここで殺らなければと分かっているのに、救助に向かってくるレオナールに早く来てくれと思わず願ってしまう程に苦しむのは愛故にというのがまた!

原作のラウールとジョゼフィーヌとの愛憎劇の終着はここなのか?と余韻のある名場面です。


正直キャラクターとして有名度がメドゥーサの方が高いとも思いません。

だってセイレーンってスターバックスのロゴマークになってるくらいだし、近頃じゃちいかわで活躍してたじゃないですか。

本当に例えられるならセイレーンが良かったよ!


何故そうじゃないのかって理由を考えるとしたら、音符の数の都合か?くらいなんですが素人なのでよく分からない…。


とりあえす、いくらなんでもメドゥーサはないじゃん!と残念で仕方がないんですよね、あの歌詞は。

なんで、そのチョイスなんだ小池修一郎ってメッチャ聞いてみたいです。