
重たいタイトルになってしまいましたが、
先日、上野に行ってきました。
話題の、『ツタンカーメン展』の行列を横目に、
向かった先は、国立西洋美術館。
「手の痕跡
国立西洋美術館所蔵作品を中心としたロダンとブールデルの彫刻と素描」展で
オーギュスト・ロダン大先生の作品を見てきました。
こう見えて、大学では彫刻専攻した。
とはいえ、作るほうではなく、研究するほうでしたけど。
仏像とかはあまり興味がなくて、
日本の近代彫刻と日本における彫刻の衰退について研究してました。
そんな日本の近代彫刻家に多大なる影響を与えていたのが、
オーギュスト・ロダン大先生です。
で、『考える人』なんて、もう「トイレに座っている人」意外に見えないというくらいメジャーな先生ですが。
オイラの好きな作品が、写真の『カレーの市民』。
この作品の歴史的背景とか書き始めちゃうと、すごく長くなっちゃうので、
ウィキペディアで、調べて下さい。。。
イギリスとフランスの百年戦争の時、敗北したフランスのカレー市で、
自己犠牲の精神によって、町を守った要人の姿を、
カレー市の市長は、英雄的モニュメントにしてほしいとロダン大先生に依頼、
でも、ロダン大先生が作ったのは、↑
やせ細り、裸足で、首に縄を巻かれて、城門の鍵を持って、進む姿は、
フランス軍への抵抗からの、長い籠城生活の疲れと、敗北の確信、
英雄的行動ではあるが、処刑されるとわかっている、その死への恐怖、
苦悩が満ち満ちた、ある意味、人間的真実の姿でした。
そう、完成したシロものは市長がお願いした、英雄的要素 ゼロだったり、
市長は、ウスタシュ・ド・サン・ピエールという、一番最初に志願した若者の1人の像をお願いしたのに、6人作っちゃったり。
こりゃこりゃ、ロダン大先生、
そんなことするから、出来上がってから、設置されるまで7年もお蔵入りしちゃっいました。
ま、生きてるうちに設置されてよかったですね。
そんな、ロダン大先生の作品が好きです。
人の積み重ねてきた歴史、逆に若さ。
苦悩や絶望、逆に愛の喜び。
それを表す体の、肉が、筋が、皮膚が、
粘土の、一塊り一塊りで表現されていて、
もう、オイラの体も実は粘土なんじゃないかと思えてくるような、
生きている像がそこにあります。
ロダン大先生は、
人の醜さや、苦悩や、苦痛を、リアルに、作っちゃうので、
大概そういう作品は物議を醸し出して、お蔵入りしかけちゃうわけですが。
苦悩の無い人はいません。
老いからくる醜態は、だれにも止められません。
そういう、人が目を覆って見ないようにしていることに、
人間として、美しいと感銘を受けるのがロダン大先生です。
その作品を見て、人間としての生の力強さを感じて、
生命の美しさを感じるオイラです。
そんなロダン大先生も、
アカデミーの試験に落ちすぎて、進学をあきらめちゃったり、
奥さんいるのに愛人作っちゃって、愛人に逃げちゃったり、
苦悩の多い、ちょっとした人でなしさんですが。。。
そんなところもオイラは好きです。
何について書きたかったのか?わからなくなっちゃった。
つまり、人は「考える葦」であるって話かな?
で、「考える人」。。。
ま、いいか。