アイデリアリストのブログ

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理想を求める現実論者の勝手気ままのつもりが、すぐ熱くなってしまう日記。

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ぽっと出?と思う人もいるかもしれないが、実は菅政権の時からのテーマで、去年2010年の今頃ぐらいに出てきた話だと思う。
東日本大震災で一旦完全に話がストップしたが、中身の大枠が決まりそうなタイミングで、11月にAPECがあるから、いずれにしても無視できないテーマだろう。

率直にいえば、私は交渉参加および締結にも賛成だ。
いわゆる争点になっている部分云々以前に、自由貿易の推進は、原則進めていくべきだと思う。先進国ならなおさらだ。
というのも、本来、自由貿易は理論上、通貨の安い発展途上国が利益を多くとれるようなシステムになっている。
一方で、先進国も得意分野での輸出を初め、様々な恩恵を得ることができる。
それなのに、大国が好きなように製品を輸出しながら、弱い分野には力技で高関税をかけてきたのが、これまでの貿易の歴史だと思う。

そこには、世界全体でできるだけWINWINで成長しようという意思が見られない。

その観点でいえば、TPPに反対することは、世界平和(少し安易な表現だが)を望まない姿勢を示すのと同じといっても、決して言い過ぎではないと考えている。

世界的な協調と日本の国益を両立させるなら、できるだけ門戸を開いた上で、苦手な分野に補助をし競争力をつけ、さらに譲れない部分だけをはっきりさせるべきだ。

そういう意味でいえば、この度のTPP推進派も、反対派の意見をしっかりフォローできていないのも事実だろう。

細かいことをいえばキリがないが、大きくいえば、論点はそこに尽きる。

日本の農業が破壊される。アメリカが日本を乗っ取りにかかる。非関税化しても大した経済効果はない。
こうした主張をする人は、各論では一見説得力はあっても、大局観や目指す理想、世界をリードしようという気概が見当たらない。

大きく構えて、そこから現実と摺り合わせながら、落としどころを探っていくのがあるべき姿だと思う。
 どちらかというと、最近ブログ書いてなかったから、継続性を意識して投稿。
それにしても、昨日のタジキスタン戦での代表爆発は、久々に気持ちの良いものだった。
ウイイレだったら、もう今日はここで終わりにするしかない!レベルだったと思う。

 とはいえ、私もダイジェストでしか見れていないのだが、相手が格下でマークが緩かったとはいえ、きちんと内容の濃い形を作って、結果を出したことは素直に喜びたいニコニコ
 中でも、力強いワントップとして、自分的に是非定着してほしいハーフナーが機能して、結果がでたのは嬉しい。
そして言うまでもないが、中村憲剛のパス出しが素晴らしかった。

 相手のレベル的にやりやすかったとしても、あそこまで決定的なパスを連発してもらえると、観ていても気持ちいい。
 以前、同僚の選手かなにかが、憲剛は、フィールドを上から見てプレーできる(から凄い)という趣旨のことを言っていたが、本当に、視聴者やテレビゲームをやっているような視点からのタイミングで、パスを出しているようなプレーは、ただただ感心するしかない。

 是非、まだまだ代表でののびのびとしたプレーを観てみたいなと思う。

 ただ、相手によってもそれが発揮できるかは変わってくるし、代役対象とされている、本田にはまた別の強みがあるから手放しで憲剛押しとまではいかないが。

 理想は、二人が競い合ってより洗練されていくことだと思う。
 申し訳ないながらも、遠藤か長谷部に代わってもらって、トップ下本田、ボランチ憲剛も観てみたい。

 とりあえず、久々にスカッとする結果になって、素人ファンとしては大満足だった走る人サッカー

 毎日電車に揺られて、家と職場を行き来しているのだが、いつも心がけながらもなかなかできないことがある。

①道端や、駅のホーム、車内に落ちている空き缶やペットボトルなどを、さりげなく拾ってゴミ箱(資源ゴミ用)に捨てること

 まず、さりげなくが難しい。やはりどこかに偽善者に見られたくないという気持ちがあって、周りに人が多ければ多いほど難易度があがる。
 持論は「偽善の積み重ねは善だ」だが、そうはいっても、恥ずかしい気持ちが先にきてしまう。 おもしろいことに、周りに人がいない時のほうがそれこそさりげなくできるものだ。

②電車内で詰めて座り、原則一列に7人座っている状況を心がけること
 これは結構徹底している。中途半端な隙間が空いている場合は、自分がわざとらしく座り直すことで、他の座っている人にも詰めるよう催促させるという手法を使うと効果的だ。
 同時に座ろうか迷っている人にも、「どうぞ」のサインにもなる。

 みんなが意識すれば、7人掛け構想の実現はそんなに難しいわけではないのだが、一人気をつけない人がいるだけで、急に実現困難になる。それを敢えて注意するというわけにもなかなかいかないので、もどかしい気持ちになること大半だ。

③車内で高齢者や妊婦の方に席を譲ること
 ②もそうだが、都心の電車利用ではこのケースは多々遭遇する。平日の昼間や、土日はしょっちゅうだろう。

 高齢化社会で、譲られるのを嫌がる人もあって、最近は健康そうな還暦過ぎぐらいの方には無理に譲らない方針をとっている。
 ただ、最近は、しっかり立ってはいるものの、微妙に疲れている感じの高齢の方には席をゆずるべきかどうか大変迷う。

 さらに、妊婦の方は特に難しい。特に通勤・帰宅の時間帯に電車に乗っている妊婦の方は、あまりお腹が目立たないケースが多い。
 マタニティバッジをカバン等につけてあると一発だが、そうでないと、間違った場合に、女たらしに見られるか、(太め体型だっただけの人に対しては)単なる失礼な人になってしまうのだ。

 ちなみに、最近で一番気まずく、困ったのは、自分の目の前に立っている初老の女性の後ろに、もっと高齢とみられる女性が立っていて、その人に席を譲ろうと声をかけたら、目の前にいた女性に笑顔で断られてしまった時だ。
 目の前の女性は自分が言われたと思っているから、私としては改めて後ろの女性に声をかけるのもやりずらく、結局そのまま座り直してしまった。
 後ろの女性はこちらの真意をなんとなく分かっている様子だったが、どうしようもないので、少し困ったような顔(勝手な推測だが)をして、そのまま立っていた。数駅あとに、1つ横のブロック(斜め向かい)で空いた席に座っていた。

 

 結果的に座れたのだから良かったのだが、自分の行動の中途半端さに歯がゆい思いをしたものだ。


 他にも、日常からできそうでできないもの、無駄に迷ったり困ったりすることは山ほどあるが、上記のようなことは、見方を変えれば、単なる自己満足でしかないともいえるだろう。

 ただ、自分としては、人に迷惑をかけない範囲で続けていきたい。


 私も数多くいる、漫画ONE PIECEファンの1人だ。
 時々、色々と不思議な点をネットで調べてみたりするのだが、ワンピースファンが集まるどこかの掲示板で、ワンピースは分野でいえばミステリーだ、といった分析があった。

 なるほど、言われてみればその通りだなとひらめき電球
 たしかに、一見典型的な冒険活劇漫画に見えるが、ワンピースの魅力は多様な世界観、収拾つかなくなりそうなキャラの濃さと多さ、そしてその精巧なストーリーにあると思う。

 少々の矛盾などには目をつむるとして、数十巻前の伏線が後で出てきたりするなど、ストーリーのつなぎ方がうまい。
 さらに、上記掲示板の同じ投稿者は、作者は伏線だけでなく、「ミスリード」という手法を使っているという。たとえば、ルフィとエースの幼馴染みであり、物語の中で、10年ほど前に天竜人に殺されたであろうということになっている「サボ」というキャラクターは、その現場の近くで恐らく瀕死の状態で、ルフィの父親の革命軍に助けられただろうという描写がある。

 これについて、詳細は忘れたが、読者は色々な推測をすることになり、その先の展開についてむしろ予想しにくくなるということだ。場合によっては、こうなるに違いないといった伏線に近いミスリードを入れることで、読者を惑わし、後のサプライズを大きくすることもできるというわけだ。


 個人的には、にっくきアーロンよりさらに冷徹、残酷であろうと予想されたジンベエが、意外にも仁義を大切にし、強くやさしい親方的な人物像であったことが、大きなサプライズの1つであった。これは、いわゆるミスリードを上手く使ったパターンと言えるのだろう。


 あんまり語っても、せっかくのワンピースがおもしろくなくなるのでやめるが、一見、単純な海賊漫画が、現在まで63巻も発売され、ミリオンセラーを連発しているのには、このミステリー小説の要素が大きな要因となっているといえるだろう。

 いくつもの長短の伏線やミスリードを効果的にちりばめることによって、元々の本題だけでなく、細かいサブストーリーにまで読者の興味をひかせる手法は、昔の漫画にはなかった点だと思う。


 これからも、あんまり深く考えずに楽しみたいとは思うが、たまにはこういう観点から読んでみてもおもしろそうだ。

 7月1日から続いてきた東京電力管内と東北電力管内の電力制限令が、本日解除された。
 すでにここ数週間、供給にも余裕があったし、これをもって、ある程度「気」持ちと同時に電「気」も緩めていいということだと思う。

 ところがどっこい(表現古い)、ニュースや新聞を眺めていると、理解しかねる状況が続いている。

 実は、電力制限令発動中からも突っ込みたくてしょうがなかったのだが、本来のピークカットと、省エネ的節電を履き違えてる事例が多く、社会全体の雰囲気としても、本来の趣旨からずれていっている気がする。

 

 すなわち、今回の節電の狙いは、一日の電気使用量のピークである、大体午後2~3時(日によって多少変わるが)の電力需要が電力の供給量を超えることがないようにするものであって、従来から電力需要が供給を大幅に下回っている夜間において、とくに節電をする必要はない。

 習慣づけや、心がけ程度の節電はあってもよいけど、ピーク時間帯は、特に節電が強制されているわけでもないということだ。


 それなのに、例えば首都高では、今後も夜間でも照明を点けないで、節電を続けるということで、半ば誇らしげにニュースでの報道がされていた。

 すでに制限令は解除されているのに、安全ではなく、節電を優先するということ、そして、それが仕方がないといった報道に多少の憤りとあきれた感覚を覚えた。電力制限令の期間でも対象時間帯はたしか午後6時までで、暗くなる夜間に制限はかけていない。

 夜間の節電は、大停電を回避するという本来の趣旨からいっても、無意味に近いと言ってもよいと思う。


 暖房で電力需要が高まる冬に備え、コロコロ方針を変えることによる混乱を避けるため、節電を続ける業者は確かに多い。家庭でも、元々法的な制限はかかっていなかったが、今日を機に、いきなり使いたい放題使うという気持ちにもなれないし、一定の節度は保つべきだろう。
  

 ただ、電力制限令が解除され、秋に入って一層余裕がある中、いまだ「節電」を掲げて非常時と同じ対応を続けるべきではない。ましてや、首都高の安全性を犠牲にするとなったらなおさらだ。

 見方を変えれば、恐らく、多くの企業は、「節電」を錦の御旗に電力コストを縮減する方針に、目的を転換しているのだろう。たしかに、今ならエレベーターが使えなくても、弱冷房で多少暑くても、暗くて仕事がしにくくても、誰も文句はいえない。


 しかし、その風潮をいいことに(?)、安全性や日本経済の生産性、最低限の消費者サービスまでを犠牲にするべきではないと思う。

 違う言い方をすれば、今後の節電については、電力コスト削減が目的なのであれば、それを堂々と説明すべきで、高速道路会社も、照明はある程度落としても、車のライトだけで安全性は大丈夫ですと宣伝すればいい。事実であれば、それはそれで納得できるし、電力需要のベースラインが低くなれば、それだけエネルギー問題のハードルも下がる。


 「節電」の呪文で、本来の問題と自社の都合をごちゃまぜにするのだけはやめてほしい。我々一般人も、自分たちの生活を守るため、また、不必要な我慢と内向きなメンタリティを助長しないようにするため、事実をしっかり見極めて、くだらないごまかしに流されないようにすべきではないか。