2.5次元ミュージカルや舞台に対する辛辣な批判コメントを時々見かける。
要はホスト稼業の集金ビジネスとどこが違うのかというもの。
これはかなり辛辣で個人的にどっぷりハマってるだけじゃなくその文化的歴史的意味を強調してきた者としてはとても残念である。
しかし一方でこの手の批判の言わんとすることに半分同調する自分もいる。
それはひとえに集金ビジネスのやり方がそれまでの他の舞台と大きく違うからである。そこには確かに贔屓のホストの為には喜んで言われるままに散財する金銭感覚のマヒした客とそれを利用する興行主との狂った共闘がある。それだけじゃないけど、それは確かにある。
双方が幸せならばそれでいいじゃないか。
と言っておれる限度をそろそろ越えてきてると思う。
仮にもミュージカルや舞台だ。本当にホストや執事喫茶に貢ぐのとは違うはずだ。これからも文化としてレベルを上げ根付き発展していけるよう続いて行ってほしい。
しかし現状の加速するイビツなやり方ではとても続くとは思えない。いずれ破綻するだろう。もともと経済力がそんなにあるわけではない若い女性が中心で社会全体の経済も失速しているというのに。
業界全体が歪んでいればあっさりと皆がそんなものだと思って無批判に受け入れているのが怖い。
今回とても違和感を感じたのはディスグーニーズというお店でやってるお芝居だ。
店内にあるステージだけでなく客席スペースも使い巻き込む演出で、それは最初から予想し期待していたものだった。
しかしよく考えればそういう演者と客の距離の近さ、渾然一体とした舞台は小さな芝居小屋やテント小屋の真骨頂である。それが好きな友人に連れられ私も何度か足を運んだ。1年かけて全国を巡回しているテント劇団であった。いかにも芝居の原点という感じだ。そのリアリティはどうだ。役者も逞しく個性を鍛えこの21世紀にボヘミアンのような放浪生活を選んでいる(1年間とか期間限定が多いけど)。
お代も高くはないから多くの人が気軽に来れる。地方の人とも会える。
なんと言っても自分達がまず人々の中に入り近づく感じ。その実践そのものである。
一方で都会の高級地のおしゃれな店で料理とお酒を味わいホテル並みのサービス料をさらに払ってゆったりと楽しむお芝居があっても全然いい。地方の人はなかなか来れないしお金もある程度余裕のある人じゃないと無理だろう。でもそういう場所があってそこ専門の役者がいても全然いい。
しかしそこは限定的な人達に向けられた限定的な空間である。
今回のディスグーニーはそういう特権セレブな場所で庶民的な芝居小屋をやろうとしているように見える。チャレンジはいいことだ。しかし成功しているのだろうか?
私は以下の点で違和感を覚える。
まず高級料理と手厚いサービスで相応の値段的付加があり芝居だけを観れるわけではない。なのに芝居小屋のような呼び込みをしている。客と演者の一体感が強調され諦めないでまだ入れますよと誘われる。意地悪い言い方をすればそうやって高額チケットに誘導されている。
そしてさらなる違和感は演者達自身がそんな距離の近い演出に慣れていないように見えることだ。
これは全国巡回のテント小屋を何度か観ただけでなく例えばロンドンのウエストエンドで観たミュージカルキャッツの客席を走り回る猫達の演技。
みんなもっと客と目を合わすし話しかけるし本当に楽しく巻き込んで行く。
ディスグーニーズじゃ役者は役者しか見ないしあるいは下を向いてるしそこに観客がいないかのように振る舞う。決められた時だけ決められた人が客と目を合わす芝居をするようだ。すべてそういう演出なのか。コロナだし。しかし何かぎこちないし結局一番盛り上がるのは自分たち仲間内のときだとひしひし伝わる。
つまり強調されてるわりにオープンな感じがしない。内向きだ。
これは気のおけない気楽な場所ではないこともやはり関係しているのではないか。
ディスグーニーの面々が本当に触れ合う渾然一体の境地を求めるのならテント小屋で全国巡回すべきだろう。海賊なんだし本当はそちらが似合いそうだ。
かなり意地悪な結論になってしまうが、ディスグーニーズが何を目指しているのか判らない。簡単にその気になって簡単に言うこと聞いてくれる扱いやすい女の子だけを相手にし、2.5ビジネスで培った手法を銀座の高級感を付加して試そうとしている。と邪推するくらい今回は欺瞞を感じた。高級クラブ路線と芝居小屋路線は分けたほうがいいという感想だ。そしてどちらにしろ2.5ビジネスの発想は潔く打ち捨ててほしい。
素人が偉そうにつらつらと申し訳無いと思ってはいるのだが、しかし褒め合うことは盛んでも批評批判をしない文化はやはり内向きでガラパゴスだ。私は裏アカや2チャンネルとかで悪口言うとかそんなことこそしたくない。だから大好きな演劇文化の為に訴えているつもりだがそのココロはなかなか伝わらないのである。