何年経っても忘れないでい続けること | ウッピーの独り言

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昭和38年生まれ、社会人3年目27歳息子ママの徒然日記

 

 

 

アメブロを続けていて良かったと思うのは、

すぐに遡って当時の記事を読むことが出来ること。

 

 

2010年から書き始め、休みなく続けていたから、

 

 

2011年の3月11日をチェックしようと探したところ…

 

 

あ。 3月だけは1日もアップしていませんでした。

 

 

 

息子の中学受験が終わり、燃え尽きていたんだっけショボーン

 

 

 

15年前の3月11日。午後2時46分。

 

 

アタクシは家におりました。

 

 

東京は震度5強。 初めて恐怖を覚えた揺れ。

 

 

我が家は地震対策をしていたので、

 

 

倒れたのはゴルフバッグだけでしたが、心臓はバクバク。

 

 

息子は小学校。 緊急時は一度に行くとパニックになるため、

 

 

順番に迎えに行くことになっており連絡待ちの間、

 

 

テレビのニュース画面に釘付け…

 

 

今、画面に映っているこれが現実なのか脳が受け入れ難い状態。

 

 

 

連絡が来ないまま夕方5時。

 

 

もう学校も落ち着いているだろうと迎えに。

 

 

建替えが決っていたくらい古い校舎だったけど、大丈夫でした。

 

 

息子はまったく怯えもせず、「遅かったじゃん!」スマン。

 

 

 

主人はどうしたんだっけ。

 

 

アタクシ聞いたはずなんだけどほぼ記憶にない…

 

 

主人のことよりも他が凄すぎたからか。

 

 

「歩くしかなかった」

 

 

当時はまだ会社に留まるというのは浸透しておらず、

5割近くが地震と同時に帰路へ。

 

主人の場合普通の状態なら十数㎞なので3時間半程度で歩ける。

ただし震災時は3~7倍の時間がかかる。

 

 

まだ50歳でメタボじゃなかったから歩けたのかも。

 

(当日に帰宅出来たのは7割、内徒歩は4割)

 

 

 

震源地近くまでは400㎞くらい離れているとはいえ、

 

 

同じ日本なのに、とんでもない大震災に巻き込まれた方々が、

 

 

不安な一夜を過ごしている中、

 

 

こちらではガスが一旦止まっただけで、復帰ボタンで再開。

 

 

停電にもならず、トイレも入れる。

 

 

暖かいご飯を頂いたり、家族が揃って寝られた。

 

 

それだけで、本当に申し訳ない気持ちになってしまいました。

 

 

 

いつもと変わらぬ日常は当たり前のことではないと、

 

 

改めて、知らされたのであります。

 

 

 

関東も30年以内には来るとずっと言われ続けているけど、

 

 

こればっかりは本当にわからないとはいえ、

 

 

尊い命を犠牲にされた方々のことを、

 

 

これから何年経っても忘れずにいることで、

 

 

被災を少しでも減らすことに繋がると思いたい。