アメブロを続けていて良かったと思うのは、
すぐに遡って当時の記事を読むことが出来ること。
2010年から書き始め、休みなく続けていたから、
2011年の3月11日をチェックしようと探したところ…
あ。 3月だけは1日もアップしていませんでした。
息子の中学受験が終わり、燃え尽きていたんだっけ![]()
15年前の3月11日。午後2時46分。
アタクシは家におりました。
東京は震度5強。 初めて恐怖を覚えた揺れ。
我が家は地震対策をしていたので、
倒れたのはゴルフバッグだけでしたが、心臓はバクバク。
息子は小学校。 緊急時は一度に行くとパニックになるため、
順番に迎えに行くことになっており連絡待ちの間、
テレビのニュース画面に釘付け…
今、画面に映っているこれが現実なのか脳が受け入れ難い状態。
連絡が来ないまま夕方5時。
もう学校も落ち着いているだろうと迎えに。
建替えが決っていたくらい古い校舎だったけど、大丈夫でした。
息子はまったく怯えもせず、「遅かったじゃん!」スマン。
主人はどうしたんだっけ。
アタクシ聞いたはずなんだけどほぼ記憶にない…
主人のことよりも他が凄すぎたからか。
「歩くしかなかった」
当時はまだ会社に留まるというのは浸透しておらず、
5割近くが地震と同時に帰路へ。
主人の場合普通の状態なら十数㎞なので3時間半程度で歩ける。
ただし震災時は3~7倍の時間がかかる。
まだ50歳でメタボじゃなかったから歩けたのかも。
(当日に帰宅出来たのは7割、内徒歩は4割)
震源地近くまでは400㎞くらい離れているとはいえ、
同じ日本なのに、とんでもない大震災に巻き込まれた方々が、
不安な一夜を過ごしている中、
こちらではガスが一旦止まっただけで、復帰ボタンで再開。
停電にもならず、トイレも入れる。
暖かいご飯を頂いたり、家族が揃って寝られた。
それだけで、本当に申し訳ない気持ちになってしまいました。
いつもと変わらぬ日常は当たり前のことではないと、
改めて、知らされたのであります。
関東も30年以内には来るとずっと言われ続けているけど、
こればっかりは本当にわからないとはいえ、
尊い命を犠牲にされた方々のことを、
これから何年経っても忘れずにいることで、
被災を少しでも減らすことに繋がると思いたい。