*ペンネーム:篠田 葉
*コメント:母と私と娘の時の流れを、まめさんのどら焼きで繋いだお話です。
まめと娘
「甘納豆って何?納豆が甘いなんて、気持ち悪いよね。」
娘はスマートフォンの画面を見たまま、こちらも見ずにぼそりと呟く。
「最近の若い子は、甘納豆を知らないんだ。」
「最近の若い子は」などと言う大人が大嫌いだったし、大人になった今とて、それほど「最近の若い子は」と切に思っている訳でもないのに、ふと口をついて出てしまった。
「うざ。」
さしてうざいと思ってもいなさそうな口調で、軽蔑の眼差しを向けるでもなく、スマートフォンの画面から目を離さないまま娘は部屋を出て行ってしまった。
考えてみれば、娘が甘納豆を知らないのは、私が娘に与えたことがないからである。食べたことも見たこともないものを知らないのは当然のことで、「若い」ことが理由ではない。
「なぜおばさんは、豆が好きなのか。」
かつて若い子だった私は、不思議に思っていた。母が、よく豆を食べていたからだ。近所のおばちゃんや、祖母もよく食べていたように思う。甘納豆はもちろん、落花生、揚げ大豆やそら豆、甘いのから辛いのまで、乾いた豆を好んでお茶うけにしていた。お彼岸にはもちろんおはぎ、こちらはつぶれた豆だ。
私はと言えば、豆が苦手であった。赤飯に入ったささげを丁寧に取り除き父親に叱られた。節分には、たった数粒という年の数の豆を食べるのに苦戦した。給食で五目豆が出た日には、午後の授業が始まっても、教科書の代わりに机に載ったままのそれをうらめしく見つめ途方に暮れた。子ども会の餅つきで振る舞われたお汁粉で集団食中毒が起きた時には、ひとり食べなかった私だけが難を逃れた。思い返すと、いろんな豆嫌いエピソードがあったものだ。
そんな私もいつしかおばさんになり、いつしか抵抗なく豆を食べるようになっていた。いつ食べられるようになったのかも、なぜ食べられるようになったのかも覚えていない。
「なぜおばさんは、豆が好きなのか。」
という、若い子だった私の疑問は解明できずじまいである。
思い立って『お茶の子まめ』のどらやきを買いに行く。秋晴れの中、歩いて十分の散歩道。「どらやき」の板看板がかかっているから、今日はまだ売り切れていないようだ。心の中で小さくガッツポーズ。あのつやつやのつぶあんを思うと、心が弾む。レトロな引き戸をガラリと開けると、チリンと呼び鈴が鳴った。
そろそろかな。時計を見ながらお茶を煎れ始める。玄米茶の鮮やかな緑色が白い湯飲みに映え、香ばしい香りと湯気が漂う。
「やった、まめのどら焼きだ。」
お腹を空かせて部活から帰ってきた娘が、ただいまよりも手洗いよりも先に、弾けるような笑顔を覗かせた。最近ではなかなか拝める機会も少なくなった、レアな代物である。しかしその笑顔は、無邪気だった幼いころとほとんど変わらない。そして彼女は私と違って、若くても豆好きなのである。
「一緒に食べよう。」
私はどらやきと、テトラパック入りの甘納豆をひとつ、仏壇に置いた。
※この物語はフィクションですが、 『お茶の子 まめ』さんは実在のお店です。
美味しいどらやきを買いに、お散歩にでかけてみてはいかがでしょう。
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