病院受け入れ拒否!  骨折から退院しましたぁ~! | 肺腺ガンと共に生きてます

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娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

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昨日、やっと3週間ぶりに骨折からの入院から脱出! 退院しました!
入院中、初めての携帯からの投稿でたくさんの皆さまから暖かいコメントを頂きありがとうございました
この場を借りてお礼を申し上げます!

いやはや、本当に不注意とは怖いもので、
3月25日の朝、いつもどおりに主人を職場まで車で送ろうと
階段を下りていて、(我が家は4階建ての4階に住んでいます)
3階あたりで、ツルッ~と滑ったかと思ったら
あっ! という間の出来事でした…
朝、忙しいのでちゃんとした靴をはかず、健康サンダルを履いていたのですが
まあ、考えてみたら以前から雨の降る日など特別に階段を下りる際、
つるつるとすべる感覚はわかっていたのですが
その日も、雨はやんでいたものの階段が雨で濡れていましたね
いつもどおり健康サンダルを履いて階段を降りていると滑ったと言う感覚は
ほとんどなく、気がついたら倒れていました
運良く、頭などは打っていませんでしたがとっさにゴミ出しで先に降りた主人のことを思い
「やばい!間に合わなくなる!」と、身体を瞬時に動かした瞬間、左足首に激痛が…( ━@Д@)
左足を曲げて起き上がった反動で全体重が左足首にのしかかったのでしょう…
「痛い!!!!!( >Д<;)」
今まで味わったことのない痛さで骨折なら音が出ると聞いていましたが
音はしなかったので、まさか骨折しているとは思いませんでしたね…

とりあえず、起き上がって下で待っている主人に伝えて自宅へどうして上がったか覚えていません
娘が家にいたことが幸いで、玄関に倒れこんでタクシーで病院へ向かおうにも
足が1歩も動かず、見かねた娘が救急車を呼んでくれました
市営住宅で朝から救急車を呼ぶのはためらいましたが、娘に恥ずかしがるな!と怒鳴られ
救急車の担架で下まで運ばれ、病院へ搬送のはずですがいつも通う病院へは
なかなか受け入れしてもらえず結局、違う病院へ搬送されました…

救急車の病院受け入れ拒否をよくニュースでも聞きますが、本当に辛いものです
私の場合、命にかかわる事ではないので良かったですが
本当に命に関わる搬送なら絶対に許されないものだと思います
病院側の言い分もあるでしょうが、受け入れ状態の確保も政府できちんと対応できるように
してもらいたいものですね…




違う病院へ行ったものの、整形の先生が週1回の診察でリハビリに対処できないと言う理由で
結局、いつも通っている病院へ(市民病院なんですが…)紹介状を書いてもらって
やっと、受け入れてもらったと言う状態でした
検査も、レントゲン、足の固定で2重に診察費を払うはめになって。・゚・(ノД`)・゚・。
どれだけ、医療費がかさめばいいのでしょうかねぇ~

診察後、2箇所のひ骨骨折と関節のずれと言うことで即入院、翌日手術…
手術は、腰から下の部分麻酔で済みました
肺の手術のことを思えば、全然楽だったことだけが救いですねぇ~

また、1年後に骨が附いた頃に金属を除く手術とか…





本当に、ちょっとした日常の不注意で娘に迷惑をかけたことを反省しております(+д+)
引越しの準備やら大阪での生活準備など一緒にしてやることが全くできなかった…
オリエンテーション、入学式までには松葉杖をついても行くつもりでしたが
骨折した足で何が出来るでしょうか…
娘に迷惑をかけるだけ…
そう思うと、いつしか行く事を諦めていました

骨折をし、大阪行きが駄目になったと聞いたとき半べそをかいた娘…
不安と怒りで辛かったでしょう…
「お母さんのバカ! バカ! バカ! なんで今なんだよぉ~」って泣いて私を責めました
肺がんになってこの日が迎えられるとは思っていなかったと喜んでいた矢先の出来事…
毎日、自分を責めましたがどうしようもありませんよね

今、娘は一人でオリエンテーション、入学式、毎日の自炊、学校生活をこなしています
結構、大阪弁も入ったりして大阪での生活も少しずつ慣れてきているようです…

退院して自宅へ帰るとやはり寂しく
娘の笑い声や喧嘩し合った頃が懐かしく思えます

私も、足を早く直して娘の暮らす大阪へ行って見たいです
今さら何しに来たの?って言われるかもしれませんが
娘の頑張っている姿を見てみたいです!


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