母 | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

定期検診の後、

母の施設に行った時

普段は認知が進んだのか最近は

私の病気の事

あまり言わなかった

 

でも、先日は、はっきりと

私が病院帰りだというと

「先生はなんて言われたの?どうだった?」と

聞いてきたのには少し驚いた

 

「うん。やっぱり少しずつ大きくなってるけどね。大丈夫よ。」

そういって、母を落ち着かせました

 

いつもわたしの顔が見えないと泣きます

 

暗闇の中で、食事以外は1日中ベッドに寝たまま日々を過ごし

毎日、7回インシュリンの針を刺され

食事も制限され

一人ではどこにも歩いて行けない

圧迫骨折をしてからは、立つこともままならない

 

わたしと主人が帰る時はいつも

「今度はいつ来るの?早く来ておくれ」と訴えます

毎日でも行ってやりたいのですが

車で1時間半、ガソリン代もきついです・・・

 

帰り際に

「じゃあ、また来るからね」と母の手を握ると

細い手でギュッと私の手を握り、うんうんと涙ぐみます

 

思えば

子供のころからずっと母の傍にいて

母の言うとおりの人生を歩んできました

結婚にも猛反対で、それでも一緒に住みました

同居した時は本当に大変でした

毎日、主人と母の間を取り持ち

喧嘩は日常茶飯事でした

 

私の意見を母に分かってもらおうと

何度も話し合っても聞き入れてはくれなかった母

主人とも折り合いが悪く、出たり入ったり・・・

 

でも・・・

そんな母が

主人に感謝し、ありがとうと涙をこぼす

主人も母に生きて欲しいと涙をこぼす

 

わたしも

母とは生きている間、気持ちがずっと平行線だと思ってた

でも、今は本当に母が可哀そうで

わたしより辛い人生を送っていると思うと

今までの後悔が尽きません

もっとどうにかしてやれなかったのかと・・・

 

父と兄が他界し

母と私だけになり

共に辛い環境ですが

どうにか支えあって生きていきたいと思います

 

お母さん

ありがとう

頑張ろうね・・・