目が見えないからこんな扱いなの? | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

母の施設で思う事

先日も、外出するから服を着替えさせていると

母が・・・

「足にありが刺すんじゃろ、痛くてやれん」

というので、見てみるとまたです。

ズボンの裏にティッシュらしきものがたくさんついていた。

これが母の足に当たっていて痛かったのね・・・

足が所々赤く腫れていた。

 

こんなことこれで3度目。

今までは何も言わなかったけど

今回、頭にきてズボンを持って言いに行った。

「あ・・・すいません。」

と、ズボンの裏に着いたティッシュを手でのけられたので

「持って帰って洗いますのでいいです。」

と、言って持って帰りました。

 

最大の悩みは、コールを呼んでも来てくれない事。

母がコールしても「何のようでしょうか?」と言って

母が「ちょっと○○をとってもらえないでしょうか?」

と言うと「はい、後から行きます。」

と言って絶対に来られません。

 

母は目が不自由だからできないことばかりで

それでも大抵の事は自分でやっています。

それでもできない時にコールしているんですが

内容によっては無視されています。

 

本当に具合が悪かった時、喋れなかった時

コールを鳴らしても来てくれなかったらどうなるんだろう・・

 

母は、多分コールしても来てくれないから

体調が悪かったらそのままだろうね・・・

と言います。

 

他にも冷蔵庫に入っている物をとってもらえない。

牛乳が飲みたいから出してといっても

無いと言われ、賞味期限を切らして捨てられる。

 

食事の食器も、カレーライスとか平たいお皿で

出てきて抱えて食べられずこぼして怒られる。

 

ストロー等は1週間くらいはかえてもらえない・・

などなど、言えばきりがない・・

 

 

食事も目が不自由なので施設の見守りを

ケアマネさんがプランにいれて下さっていますが

ケアマネさんに聞くと、毎月末、

いつも書き直していると聞いています。

 

私たち家族の要望と母の要望を考慮してプランを

立ててもらっていても、施設側がそれに沿って介護してくれません。

 

母も足が不自由でも目が見えていれば

もしかしたらこんな扱いをされることも

なかったのではないかなって思います。

 

それでも、インシュリン注射をし

間接性肺炎の治療薬としてステロイド剤を服用しているので

高血糖、高カリウムで、食べるものも制限され

母は何のために生きているのかと

いつも泣いてばかりいます。

 

私の家の近くの特養に変えてやりたいのですが

インシュリン注射等の問題があり

なかなか受け入れが難しいらしいのです。

 

今いる施設には本当に腹が立つことばかりですが

でも、受け入れ先がないとなると

私も文句も言えないので

可哀そうですが、母を置いておくことしかできない・・

 

ごめんね・・

人生の最期の場所が辛い場所となって・・・

なんの力にもなれないことを許して・・