わたしのガン患者としての生き方 | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

小林麻央さんがブログを開設されて

とても胸が熱くなりました・・・

 

「強い母親になりたい」というお気持ち

ほんとうにこれまでの事を思うと辛くなります。

 

わたしの場合、どうだったんだろうって

振り返ってみたら

告知をされて頭が真っ白になって

あれよあれよと検査、手術で日が経っていきました。

 

泣いて泣いて・・・

自分のことしか考えられなかった日々でした。

その時、娘は高校入学を控えていた時期でした。

母親の突然の告知

糖尿病の母の世話

慣れない学校生活

いろんな面で辛かったと思います。

 

それでも、入院している私が

泣いている姿を見て

「泣いてばかりいても病気は治らないよ!」

「母さんらしく、笑ってよ」

と言われて、看護婦さんの間では

娘が来ると、お母さんが来たよ~

なんて言われていました。

 

後で聞いた話ですが

その時、娘はいろんなことで悩んでいて

泣いてばかりで、リストカットまでしている状況だったそうです。

 

そんな自分を隠して、私の前では明るくて

いつも元気な娘でした。

 

その時、私は癌は自分だけの病気ではないと思いました。

家族も同じくらい辛い病気を抱えているんだと・・・

 

それから、なるべく笑って過ごそうと考えを変えました。

 

来年はどうなっているんだろう・・って

家族と過ごせる時間はいつまでなんだろうって

1年、1年

毎年そう思って今日まで来ました。

 

抗がん剤、イレッサのおかげで

今日まで生きれていますが

副作用でいろいろと困ることはあります。

でも、自分が今生きているのは

家族と神仏のおかげだと思っています。

 

今までは、ブログでしか自分の気持ちを言えなかったけど

ガンさろんやイベントに参加して

自分の今までの経験を

今、同じ思いをしている人と分かち合って

助け合い、励ましあって生きていけたらと思います。

 

自分ができることなんて

ほんのささやかなことかもしれません。

でも、ガン患者として生きていく限り

社会貢献や、同じ病気で苦しんでいる人に

寄り添って生きていきたいなって思います。

 

施設にいる糖尿病の母の事もお世話しながら

できるだけ外に出てみようと思います。

 

長文を読んでくださってありがとうございました。