このまま維持なんだね | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

昨日、母の病状と今後の体制の話し合いを

わたしとケアマネさん、施設長、ドクター、ソーシャルワーカーさんとで

集まりました。

 

病状は、劇的ではないけれどステロイド治療が効いて

ほんの少しだけ肺の白いモヤモヤが少なくなっていました。

ただ、完治はなくこのままステロイドの服用を続行です。

 

結局、現状維持を保つこと。

わたしと一緒ですね・・・

 

悪化させないように気を付けて、

でも徐々に悪くなって体が弱って行くんでしょうね・・・ショボーン

 

高齢で肺炎になると本当に怖い

 

毎日、母の病院へ1時間かけて通いました。

食事が一番大変なので、昼食を食べさせました。

わたしが食べさせると完食してくれます。

 

自分で食べると目が不自由なのでなかなか

完食は難しいようです・・・

 

毎日、行って食べさせてあげたいけど

退院後、施設へ帰ることを希望しているので

また、一人で食事もすることになります。

インシュリン注射も今は病院なので看護婦さんがしてくれます。

でも、施設に帰れば自己注射をしなければならないので

また、母の負担が増えてくるでしょう。

 

説明に参加された看護婦さんが、自己注射の話が出ると

一人では無理だと言われました。

ドクターもそのように言われ、転院を勧められましたが

転院しても2か月間しかいられないんです。

 

その後の母の受け入れ先がないんです。

わたしが母を受け取ってやれれば一番いいのですが

それは不可能な事・・・

だから、施設に預けてるんだものね。

 

2日前、病院に行ったとき、母との会話ができなかったんです。

何を言ってもわからないと言った母に

認知症が発生したと思っていました。

でも、昨日行ったら今までの母に戻っていたんです。

 

ドクターに副作用かと聞けば、環境の変化で

認知症の速度が速まるらしく、

早く元の環境に戻してあげることがいいでしょうとのこと・・

 

入院退院を繰り返すたびに、筋力、知力が衰えていく母。

 

施設に帰って、またたくさん苦労しなきゃいけないね・・・

 

それを考えると、辛くて涙が止まりません。

 

毎日、母の傍にいて食事を食べさせてあげると

すごく嬉しそうにしていました。

でも、このまま毎日母の所へいると

施設に帰っても私を求め始めるので

少し距離を開けた方が良いと言われ

週末まで行かないことにしました。

 

私自身、疲れがたまってきたのも感じていました。

 

ごめんね・・・

見えない目で一人で食事大変だよね。

一人でインシュリン注射するの大変だよね。

何もしてあげられない私を許してください。

ガンになってごめんなさいね・・・