修業が足らないなぁ~ | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

本当に久しぶりの更新となります。

あれから歯の治療に格闘している毎日を送っていました。
この3か月で虫歯が10本にまで増え大変ですが
前向きに治療に頑張っています。

歯の治療の合間に母の施設に行くのも頻繁で・・
多い時は週に2・3度
度々あっているにも関わらず母の状態は変わってきます。

視力は全くというほど見えないために
暗闇の中の恐怖を訴えるようになりましたが、
相変わらず、トイレもベッド横のポーダブルに座ってすませます。
食事も車いすをテーブルにベッドに座って見えない目と
安定しない姿勢で食事をとっています。
介護4になっても食事介助はなく自分で食事しているのが不思議なくらいです。
ホールにいけば食事介助もして頂けるのかもしれませんが
坐骨神経痛がある母は、車いすでの食事を嫌がります。
いつまでこの状態が続けられるのか不安です。

視力がないことから部屋を歩き回ることも外に出ることもなく
テレビも音を聞くだけで毎日ベッド上で生活しています。
だから、私たち夫婦がくるのを楽しみにしているんです。
でも、行くたびに立ち上がることも歩くことも難しくなり
ベッドから車いす、車いすから車への移動がとても困難になって
私が支えるのも辛くなってきました。
私も手術した胸がときどきですが痛みがあり
動かし方によって痛むことがあるので、
目が見えない母が私にしがみついてくる時に
私も体制を崩して胸の痛みが多くなって大変になって来ています。

目が見えないために方向感覚がずれてきたり、
会話も過去と現在の話がごちゃごちゃになって
まともに話も難しくなってきています。

食事も普段一人で食べているので、
こぼしたりするのが原因なのか低血糖もしばしばあるようです。

外食も楽しみにしていて、できるだけ低カロリーの食事を食べさせます。
私も歯の治療で食事をとるのが辛い時が多いのですが、
母に食べさせながら私も食事をとるのが時間がかかるし大変ですが
唯一の楽しみにしている母に少しでも楽しい時間を過ごしてやりたくて
できるだけ母の所に行くようにしています。

けど・・

どうしても訳の分からないことを言われたりすると声を荒げてしまいます。
言った後、すごく後悔・・
どうして優しく接してあげられなかったんだろうって・・
私も末期になって家族があんな態度をとったらどんなに辛いだろうって・・

まだまだ修行が足りません。
人の気持ちを察するという事は難しい。
私より辛い人生を生きている母に優しくできないなんて・・
私はダメな子です。

相手を思いやる気持ちは口で言えば簡単だけど
心底思いやることは難しい・・
相手の立場になって考えること
人間の気持ちは複雑だなぁ~