次から次へと・・・ | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

本当に久しぶりの更新となります。
義姉はあれからすぐに他界しました。

それから日を置かずに母の受け入れ先が見つかり
本当に大変な毎日でした。

結局、母の受け入れ先の施設は山口市になり
ここから離れた場所でしか受け入れはされませんでした。
母にそれでも良いかと聞いたところ、
遠くなることで私たちが頻繁に行けなくなるが仕方ない
と、承諾を受け転出、転入、新規契約と
目まぐるしく日を重ねました。

先々週、、無事母を施設に入居させたのですが
すぐにトラブルは発生しました。
今まで、入院でほとんどベッド上の生活を送っていたんですが
施設に入ると、デイサービスが週に2度あるのですが
車いすに座り、5時間という時間を過ごすことが
坐骨神経痛のある母には相当、苦痛のようでした
それを施設の方に訴えても、受け入れて貰えず
施設側は、母の状態を見るため、部屋に籠りきりにならないように
と言われることは分かりますが、
痛みというのは、自分にしかわからないもの
母が嫌がっているのに続行していいものなのか・・

食事の際も、夕食時に立ち会い、介助しましたが
母は、座っているのが苦痛だから口の中に食べ物を
押し込んでくれといってきました。

母は生まれつき胃下垂で胃が弱いのですが
病院にいた際も、食後の薬を飲ませるために
食事を急かされていたことに悩んでいました。
血糖も病院では正常値だった数値が
300~400にも上がっていました
ストレスも加わったのか、口角炎と舌赤症も起こしていました。

私が行くと、「こんな地獄にいるようなら生まれた家に帰る!」
「あんたが動いてくれないなら親子の縁を切る!」
・・・とベッドの上で泣きっぱなし・・
私も定期検診を控え、気持ちがピリピリしてストレスが上昇しそうです・・

一応、在宅医のドクターとケアマネさんに相談しました。
今週、施設と母に話を聞いてみるようです。
ケアマネさんも、ここに居た時のケアマネさんではなく
施設側が用意された方で男性という事もあって
なんとなく相談もしづらいのが本音です・・

やっと、母も落ち着いてくれる場所ができたと
喜んでいただけに、これからどうなるのかと思うと
まだまだ心配事が絶えないようです・・