たくさんの思い出とお土産 | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

17日は家路につくだけ・・

新幹線はお昼過ぎの便・・

午前中は、ゆっくりと過ごし娘の洗濯や
娘たちの夕食の買い物を近所の商店街で買い足して・・

お昼前に娘の自宅を出ましたためいき
1Kのお部屋に親子3人・・
私と娘はベッドで2人寄り添って寝て
主人は床にタオルをひいて寝ましたおほほ
おかげで主人は腰が痛くて眠れない日々だったようで・・><

早いもので娘の所へ行くことを楽しみにしていたのに
もう帰路につく日・・
嫌な事、辛い事って本当に長く感じるのに
楽しい時間って本当に早い・・フー

怒ったり、笑ったり、疲れたりしたけど
やっぱり親子が揃うっていいな・・うれしい!!
主人も娘にあえて嬉しそうにしていました・・
主人の前でも、相変わらず着替えをしたり
寄り添って話をしたり気遣ったり・・

別れの時間はやっぱり悲しい・・
娘も私も主人も笑っているものの
ふと見える顔には一抹の悲しい顔が・・泣く

娘は新幹線代を貯めるために朝まで働いていました
夜の仕事・・どんなことだろうと職場を見せてもらった
早く言うとバーテンダーのようなもの・・
無理を言って延長して仕事をさせてもらっていたようです

部屋に仕事をした時間のメモがおいてありました
これからも貯金をするために
時間を延長するそうです・・

「元気でね・・」
「頑張るんだよ・・」
「父さんも母さんも・・」
「無理しないでよ・・」
「あなたもね・・」
「今回は新幹線代ありがとうね・・」
「気にしなくていいよ・・また来てよね・・」

そんな会話をしながら手を振り改札口へ・・


ここまでは涙をそそるお話ですが
これで終わらないのが私なんですよね・・


ホームに向かうと反対側に私たちが乗るはずの新幹線が・・
慌てて行こうとするも悲しくもドアが閉まり出発・・やばい

駅員さんに事情を話し、別の新幹線の自由席で帰ることに・・
せっかく娘が指定席取ってくれていたのに・・しずく
それでも大阪が始発のさくらだったので
自由席でも座って山口まで帰れました・・

後で娘に話すと
怒鳴られてしまいました・・あせっ

ついでに風邪までお土産にもらってきたようです・・
鼻水と喉が痛い・・ウサギ汗