優ちゃんが天使になって7年目の突然のがん告知! | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

ここからは、私が今現在闘病中の肺腺がんの告知を受けてからの事について投稿します




優ちゃんが天使になって、わたしは1年の間、毎日のように

自分を責めて生きてきました

それに加え、実母との喧嘩もさらにエスカレート・・・あせる

優ちゃんがいなくなったのも、子どもを作った私たちの不注意と

責められ、主人の事や親戚の事を更に悪く言う毎日でした


前は、主人がいない時に言ってた愚痴が、

この頃から主人に面と向かって言うようになり

主人と母の喧嘩も絶えませんでした


喧嘩をすると必ず、家を出ると言い、別に頼んで居てもらった

訳ではないのですが、母から私がいたから扶養手当がもらえただの、

税金が安くなっただの、主人と仲良くやれたのは、自分のおかげだの、

全てが自分が正しいというのに対して、わたしの我慢も限界で

「いい加減に自分の悪い事も認めてよ!」

「長女にも、ある事ない事言い含めて、大人の話までして・・」

そういうと、決まって母は、

「じゃあ、ここから飛び降りて自殺してやる!」

と言い、それはダメだと私が誤る始末で・・・


主人には、母との別居を迫られ、母には主人との離婚を迫られ、

私は、精神的にも、肉体的にも疲れ果てていました


優ちゃんがいなくなったというのに、何も変わらない

それどころか、環境が悪くなってきてる・・・

長女も、10歳でいろんな事に反抗してくる時期で・・・

経済的負担も、母を扶養してから生活費を出さない母でしたので、

切迫し、パートも再開して働きました

その職場でも、セクハラやら人間関係でストレスがいっぱいで・・・


このころ、家族が寝静まった頃、一人で外に車で出かけるのが

唯一のストレス発散でした汗



その頃は、母の言葉が怖くて何を言われるかビクビクして

母の事を思うと吐き気がつくほどでした

実の母なのに、どうして心が通じ合わないのか

情けないやら、腹立たしいやら・・・


そんな生活が続き、2006年10月に職場を変え、

心機一転頑張ろうとしていた矢先、

初めて名前を出しますが、12歳離れている実兄が

肺がんになったと連絡がありました


兄について少しお話します

兄と私は12歳離れた異父兄弟で、25歳で結婚

私は、13歳でおばさんになりました

子どもは3人娘に恵まれたのですが、お嫁さんが

兄の性格を嫌っており、じゃあなぜ結婚したんだ!?

と思うのですが、兄夫婦の仲も冷めていました

それで、母の同居の事も頼んだのですが、

義姉がまた母と気が合わなくて・・・まあ、わかりますが・・

兄も1ヶ月くらいは面倒を見てくれましたが、それ以上は

無理のようで、私の家で面倒を見たのです

母も、兄にはなぜか思いやりが強く、私と扱いが違いました

よく、兄弟で母親が差別するとは聞きましたが

私もその「差別」だったのか兄と待遇が違っていました

そんな、私の反抗心もあったせいか、兄のお見舞いには

行きませんでした・・・

それが、最後の別れになるとは・・後悔が残るばかりです汗


兄が告知されて3ヶ月目に先立ちました

抗がん剤治療を拒否したようです

というより、家族が治療を望まなかったようなのです

兄も2年前にリストラで退職金を貰い、そのお金に娘たちが

(娘たちは3人結婚しているのですが・・)群がったようです

後から、聞いた話ですが・・・

それで、兄も無一文になり借金を抱え、自分も抗がん剤治療を

断ったようなのです・・


兄の事で気持ちが沈んでいた頃、今度は主人のリストラ!!

娘は、中学受験でこれからお金がいるという時に!!

その頃から、私に酷い咳が1ヶ月続きました

扁桃腺肥大でよく風邪をひくことが多く、多分また風邪だろうと

思って、病院で咳止めを頂き、ドクターにもし咳が止まらなければ

内科に受診するように勧められるも、咳がとまってしまったのです


それから年が明け2007年、娘の受験も近くなり

咳は少しありましたが、ある日血痰が・・ビックリマーク

微量でしたので、もう一度あれば病院へと思っていたのですが

3月に会社の定期検診がありました

その、検診でレントゲンに3cmの影!!があると言われ

すぐ、精密検査の気管支鏡検査を受け、これが死ぬかと思うほど

苦しくて、大変でした・・・


一抹の不安はありましたが、血液検査で腫瘍マーカーがゼロだったこと

で、ガンと言うことは考えてもいませんでした


検査結果を聞きに、春休みということで家族全員で

結果を聞きに病院にいきました・・母は来ません

随分待たされた後、ドクターから聞いた言葉は

「最近は、告知をしないといけないので・・・」

はあ?何を言ってるんだろうと・・・

「残念ながら、悪性の肺ガンです・・腺がんと言うガンです」

ビックリマーク

娘は、すぐに診察室を飛び出し、主人は泣きながら

「絶対、治すからな!」・・・って

わたしは、何が起きたのか全くわからず、ドクターに

「肺・・・ガンですか?」  「はい、レベル5です」

!!!!!!

突然、涙があふれてきて・・「末期ですかぁ~!?」

「いや、レベル5と言うのは、悪性度が5でガンで間違いないという事です」

「すぐに、転移してないか検査しましょう」


それから、地獄の日々の始まりでした・・・