またまた奇跡の二人目の妊娠/そして・・別れ・・・ | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。



登場人物: わたし・・・36歳  主人・・・43歳

        実母・・・?歳   長女・・・9歳

        名もなき赤ちゃん・・・生まれたて



二人目を妊娠した私は、実母に報告することにあせる

案の定、実母は大反対で、今回も降ろすように言われました

今回は、私も年齢、生活の事で長女とは違い

命がけで産む事をためらっていました

主人と長女は、

特に長女は、妹が出来たと言う喜びで興奮気味ラブラブ!

主人にも、娘にも母が降ろすようにいった事、

私もそんな風に感じている事などいえるはずもなく・・・


ひとりで悩んだあげく、子どもを授かれない身体だった

私が二人の子宝に恵まれた事に感謝しないとビックリマーク

と、ようやく心を決めたのが、つわりもひどい

5ヶ月過ぎた頃でした

でも、そんな事を悩んでいたせいか

3ヶ月過ぎた頃に切迫流産になりかけました

高齢出産とストレス、長女を妊娠した時とは

身体の調子が違っていました


心を決め、パートで事務をとっていた私は、

6ヶ月を過ぎた頃に仕事を辞めることにしました

そして、仕事を辞め、これからお腹の赤ちゃんを

大事にしようとしていた2日後、事件が・・・!!


いつものように定期検診に出かけ、診察をしていると

内診をして先生の顔色が変わったビックリマーク

「胎児の足がさわれるぐらいまで下におりてるガーン

「すぐに、NICUのある病院に搬送しなくては!!」


!!!!!!!!!!!!!!!!


「はあ!?」

先生と看護婦さんがあわただしく救急車を呼んだ

主人と、母と長女にも早急に連絡!

私は、救急車で○○病院へ運ばれた


○○病院へ運ばれたわたしは、すぐ診察され

即、入院と言うはめに・・・


それも、切迫流産の恐れがあるということで

ベッドの生活をすることをよぎなくされた

たくさんの点滴と注射を打たれ

すぐ、産まれても良いように分娩室の隣に入れられ

小児科の先生もスタンバイされた汗


ドクターに

「今、産まれると赤ちゃんが小さすぎて生存率が数%しかないです」

「お母さんも辛いでしょうが、赤ちゃんのために頑張ってね」

そう言われ、食事も排泄もベッドの上での生活・・・


すごく、不安でした

たくさんの点滴に顔から火が出るくらい暑くなり

身動きが出来なくなった自分、

家庭の事、長女の事・・・そして、お腹の赤ちゃんの事汗

突然の出来事にようやく落ち着いたベッドの上で

ただただ、涙しか出ませんでした


そんな生活をしていた3日目

わたしの不注意で、力んでしまい

陣痛らしき物がはじまったのです

長女の出産の時は、陣痛がこなくて帝王切開に

なったのですが、今回はお腹が常に張るのです

もしかして、これが陣痛?と思いながら

看護婦さんを呼ぶと、もう出産が始まると言うのです


たまたまその日は、日曜日・・・

ドクターを至急呼んでもらい、突然の分娩が始まりました

長女を帝王切開で産んで、それも骨の異常があり

そして、今回の赤ちゃんは、ずっと逆子のままだったので

自然分娩など出来ないと思っていましたが、

ドクターが突然の自然分娩出産を決意!

腹式呼吸をして、力んで・・・と言われても

36歳にして、初めての経験で・・・

これが、自然分娩の苦しみかという思いで

ドクターが

「おお! 卵膜のまま綺麗に出てきている!」

「赤ちゃんに傷はつかないようだ」

「こんなお産は珍しい!!」

・・・と看護婦さんが一斉にわたしの下に集合して・・ショック!


「生まれた~!女の子です」

「おめでとうございます」

と言われ、赤ちゃんの顔を見れると思いきや

娘はUICUへ連れていかれました汗


わたしは、産後の処置をされ大部屋へ・・・

買い物に出かけていた主人と娘は

私が、分娩室に入った頃、到着し

突然の事で驚いていました


長女は、妹が生まれたことに大喜びでした汗



その後に続く・・・