わたしのガンになるまでの道のり~結婚そして奇跡の妊娠!? | 肺腺ガンと共に生きてます

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娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。


ゆうままの天使の娘と生の娘と闘病記のはなし・・・



登場人物: わたし・・・27歳        主人・・・34歳       

        長女(大阪にいる娘)胎児  実母・・・?歳かわすれちゃった



ほぼ強引に結婚をして幸せな二人っきりの新婚ラブラブ

・・・と思ったのもつかの間、実母との同居にあいなる事に爆弾

まあ、今まで母子家庭だったので母も糖尿病で病弱と言う事で

面倒を見ようと思ったのですが、これは母の強制だったのです

ただ、なぜあんなに長男を嫌っていたのに自分から同居とは

少し疑問を残したまま新婚生活+実母の3人暮らしが始まりましたあせる


新居は、市営住宅の5階で、

結婚式の費用もほとんど二人の貯金を使ったのであまり良い物は

揃えられませんでしたが、まあまあの出来べーっだ!


新婚布団も私たちだけではなく、

母の羽毛布団もしっかり買わされてしまいましたショック!



その後、母の行動に仰天させられることばかりでした

留守の間に、私たちの寝室に勝手に入り、

いろんなものを物色していたようで

結婚を気に仕事を辞めて家にいる私に

主人の留守にいいよってくるのです


「まあ、あんたたちの部屋には○○があるのに私の部屋には○○がないわね」

「私は、居候だからしょうがないけどね・・・」

とか

「あんたは、あの男のどこがいいんかね。変わったね。娼婦のようだよ・・・」


!!!!!!


年頃の頃には私も悩む時期があり、性の話も母に

相談したいこともありましたが、そんな話は禁句でした

それが、結婚した途端、性の話ばかり!?

それも、私が聞いても恥ずかしい言葉ばかり

投げかけてくるのです


実母だから、遠慮はいらないとはいえ

夫婦になった以上、プライバシーは

守ってもらいたいむかっ


でも、そんな言葉はとうてい届きはしませんでした汗




結婚を決めた時、主人には私が骨の異常で

子どもが出来ないからだと言う事を告げ

それを了解した上での結婚でした

なので、子どもが出来るという期待もせず、

淡々と毎日を過ごしていたのですが・・・


結婚して3ヵ月後、奇跡は起こりましたビックリマーク

私が妊娠したのですクラッカー

自分でも信じられませんでした

初潮が始まったときから、1回も狂ったことのない

生理期間が1週間生理がないのです

もしかして!?と思い、妊娠検査薬で検査を・・・

すると・・・ビックリマーク

妊娠反応が(@_@)あせる

主人に報告すると、全然信じてくれません得意げ

なので、病院にいくことに・・・

生理が止まって3週間近くたった頃

病院に主人と一緒に行き、診察室へ・・・

ドクターが「おめでとうございます!おめでたですよ♪」・・・

一瞬時間が止まりました

私は、やっぱりと思ったのですが、

これでも主人が信じようとしないので

エコーを見てみることにあせる

すると・・・音譜

ちっちゃなちっちゃな物体がドンッラブラブ

主人は絶句していましたよにひひ



でも、喜ぶのもつかの間、大きな壁が・・・

母です!

喜ぶだろうか?とても不安でした・・・



意を決して母に報告すると・・・

「そんなぁ!あんたは身体が弱いんだからすぐ降ろしなさい!」!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

声が出ませんでした

子どもの頃から母のいうことに服従してきた私は

その言葉を聞き不安に思い、子どもを産もうか産むまいか

悩んだことを今でも後悔しています

でも、授からないと思っていた子宝、

母親になれないと思っていた喜び

いろいろ悩んだ結果、自分の命にかけて

産むことを決心しました!!



それを知った母は猛烈に反対し、

ほとんど毎日、主人がいない留守に

大喧嘩の連続・・・爆弾


この頃から、私の心痛は始まりました・・・


その③に続く・・・