天災は忘れた頃にやってくる。 | くるみの学校

天災は忘れた頃にやってくる。


能登半島の地震でも、新耐震基準の家が全壊、半壊している。修理、立て直すにしても二重債務となる。
過去の地震で窓一つ壊れなかったコンクリートパネル工法、間取りには制約があるが、自分の家がまさにシェルター、避難所になる。関東大震災から101年、巨大地震は、いつ来てもおかしくない。1994年に書かれた神戸大学名誉教授の石橋克彦さん著の大地動乱の時代を読んで、日本列島にはいつ大地震が来てもおかしくないと確信した。1995年の神戸、淡路の地震では、1ヶ月後に教職員組合の派遣としてボランティアにも行った。

その後、2004年の新潟、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、そして今年、2024年元旦の能登半島の地震が起きた。

南海トラフや東海沖地震、そして東京直下型地震などが警告されてきた。

私の出生地の秦野市には、関東大震災で、川が堰き止められ、できた震生湖がある。また、丹沢、箱根山地は崩壊して、その傷跡が残るところがある。

石橋教授は、1994年時点で、ジョーカーの入った53枚のトランプ、残りのカードは数枚と表現されていた。

大地震と火事はつきものである。木造は勿論、鉄骨造も火事には弱い。

大震災のシェルターになるのは、コンクリート住宅のみである。そして、富士山の噴火の可能性もある。

あらゆる災害に強いのが、コンクリートパネル住宅であり、その中でも一番進化しているのが、津波シェルターまで開発した百年住宅である。

天災は忘れた頃にやってくると言う寺田寅彦氏の言葉を噛み締めなければならない。