ダークマター2
私の左膝をレントゲンで撮影すると軟骨がトゲのように何十ヶ所も出ていて、普通の人では歩けないような痛みが出ているはずだと整形外科医は言います。
実際、怪我をした21歳から34年間以上、正座ができません。
28歳までの7年間は、時折、歩いていると膝がぬけるような感じがして、痛みが走り、歩けなくなりました。
33歳の時には、アイスホッケーでぎっくり腰になり、ずっと腰痛をかかえていました。
それでもテーピングやサポーターなどのギブスを巻き、社会人のアイスホッケーチームに入り、40歳までプレーをしていました。
37歳の時にはスキーで左膝の半月板を痛め、膝の中でリンパ液がもれ、右膝の倍くらい、腫れ上がりました。
それでもだましだまし、アイスホッケーやスキーをしていました。
40歳になったとき、南富良野町に行きはじめましたが、腰痛と膝痛で痛み止めを服用しながら、スキーをしていた時期もあります。
腰痛には52歳から始めたピラティスがとても効果的でした。
2004年の夏、愛犬のエリーを北海道で事故死させてしまうのですが、行く前に庭に置いてあったカヌーの先に左膝を強くぶつけました。
その時、転んで、瞬間的に立ち上がれなくなったのですが、ぶつけた場所が少林寺拳法でいう急所だったようです。
フェリーに乗る2日後には、足を引きずるような痛みが生じていました。
北海道に到着後、整形外科に行き、倍にふくれあがった膝から内出血した血とリンパ液を100CC以上、抜きました。
しかし、楽になったものの、足を引きずって歩くような状態でした。
富良野市に行った時、中国足心道という足裏マッサージをする治療院に入りました。
足裏から全身マッサージをされました。稲垣先生は60歳までは、農具を作っている会社で、鍛冶職人として努めていました。
退職後、この仕事を始められたのですが、最初はボランティアでやっていたそうです。
そのうちに治療を受けている方から、お金をもらった方が良いと言われ、開業されました。
私でもうめくほど、強く押されます。来る方によっては、途中で帰ってしまう人もいるようですが、治療後、私は普通に歩けるどころか、走れるようになっていました。
それ以来、富良野に行くたびに、必ず治療を受けるのです。
旭川医大で壊疽のために、足を切断すると言われた患者さん治療、普通に歩けるようにしました。
こういことは医学界の常識では、考えられない事でしょう。
昨年の夏、くるみの学校を作ろうと思う前に、移住後の仕事として、「クリ先生なら、体力があるので、できる。」と弟子入りの許可をもらっていたのです。
73歳の今もすごい力があります。腹筋が割れています・・・。(笑)
杉浦先生のダークマターの話がどのようなつながりがあるかというと、ガンが治ったり、壊疽が治ったりするのは、私達が見たりできないダークマターのような物が関連しているのではないかと言われるのです。
しかし、実はそんなものはどうでも良いのです。
体が治ったらなら、感謝の気持ちを天、宇宙、神(お好きな概念で)に捧げれば良いことなのです。
ちなみに、稲垣先生は中国足裏道という所に1週間ほど、習いに行ったが、
治療法はすべて自分で考えたと言われています。
「要するに血液とリンパの流れをよくするだけ。」と言われています。
だから誰でもできるのです。
左膝には慢性的な違和感がありますが、登山もマラソンもスキーもできます。
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