高等専門学校(5年間)の工業化学科を卒業して、20歳で、一部上場企業の、研究部門の補佐的な要員として配属されました。そして、5年以上過ぎた当たりから、仕事に前向きに取り組み、重要でない先行的なテーマを任されて、製品化に成功して、その製品は世の中で認められました。しかし、言いたいことを言う性格のためか、又は、最悪の上司であったためか、その成果は上司が独り占めにして、私は、化学とは別分野のメカトロの機器開発部署に、13年目で移動となってしまいました。機器開発部署のリーダーからは、「お前、どんな悪いことをしたんだ、メカトロの部署に化学の人間が移動になるなんて、ありえないよ」と言われて、 何も答えることが出来ませんでした。そしてしばらくして、前の開発製品が、世の中で認められ、前の上司が知財部署を巻き込み、全国発明表彰(年に日本で10件)で表彰され、私も、そこに名前が加わりました。表彰式には、呼ばれ、社長も出席して、皇室が授与するという形式であり、100万円が奨励金として出たのですが、私は、1円も貰えず、全部取り上げられました。出席は奥さん同伴とあり、家内は美容院代と着付け代の4万円が赤字だと、わたしに文句を言いました。良い製品を開発しても、別部署のことであり、給料への効果はゼロです。

 そして、機器開発部署でも、当然、主力製品の開発には携われず、周辺機器の開発が主であり、環境機器などの担当をしていました。機器開発部署に居る時に、新製品を開発してますが、その展示会で、説明員をしていて、新製品について、「凄いね、良くやったね」と褒めてくれたのは、競合他社の社長のみでした。社内では、騒音は大丈夫とか、壊れないかとか、マイナス意見ばかりでした。そして、主力製品の開発には携われなかったのですが、周囲の人たちが開発した主力製品が、市場でトラブルとなり、対策費が年に10億円以上となり、市場展開から1年経っても、トラブルが収まらない状況で、応援要員として、トラブル対応に参加させられ、半年経ったら、トラブル対応の責任者にさせられて、開発した人たちは、みんな、次機種開発の担当となって居なくなり、私以下の数名で、すべてのトラブルの対応(しりぬぐい)をしました。市場のトラブル対策費がゼロとなりチームが解散して、新規開発に戻れるかなと、思っていたら、携わる写真分野の急激な売り上げ縮小により、部門解体で、リストラ対象となり、全国発明表彰の対象となった事があったという事で、知的財産関係の部署に異動となりました。機器開発部署には、13年間、在籍しました。

 で、結局、課長にも成れずにいる中で、部署移動です。

 異動となった、知的財産関係の部署は、頭でっかちな人達が多く、みんな、高学歴な人達ばかりであり、東大のマスターや、ドクターの肩書の人達が重宝がられるみたいな感じで、高専卒の私は、結局、ヒラのまま、定年まで、居ることになったのです。知的財産部署のすることの、差は出難く、先端技術部署へすぐに異動したいとの自己申告をしましたが、異動は出来ず、先端技術部署の知財担当に担当部署変更になる程度でした。そして、先端技術部門の開発内容が、あまりにもプアーで、進め方も酷いという事を知りました。せっかく、最先端で、世の中をひっくり返せる開発が出来るのに、こいつら、クズ の集まりなのか・・・ と思うけど、上司でもないヒラの私には、何も言えない、みたいな感じです。

 そして、定年に向けたカウントダウンが始まり、仕事は、クレームが無い程度にして、さっさと定時で帰宅し、何が出来るか、を真面目に考えて、始めたのが、不動産投資でした。60歳で定年退職した時は、不動産投資の家賃収入は年間で2000万円でした。退職金を不動産投資に振り向け、初期に購入した物件の売却益で不動産投資を増やし、年間の家賃収入は3000万円となっています。62歳から年金を貰い始め、今年の誕生日からは、満額の年金となります。ということで、お金には、困らないかなという感じです。

 サラリーマンを振り返って、思うのは、世の中がひっくり返る様な、開発を、してみたかったな、という事です。