ブログを覗いてくださり、

ありがとうございますチュー

 

さて、現夫が就職を決め、

永住権の申請準備ができたので、

 

私は安定した大学職員の仕事を辞め、

大学院に行くぞー!と気合を入れて、

 

(やっと!)オーストラリアに戻ってきました。

 

彼とはすでに5年ほど付き合っていましたが、

ほとんど遠距離だったので、

いっしょに住んだらうまくいかないかも、

と思い、すぐに結婚しないことしました。

 

彼と上手くいかなくても海外の大学院卒なら、

転職なんとかなるかなーと・・・

(↑超現実的ニヤリ

 

最初は

ワーキングホリデービザ

で入国しました。

 

1年間、オーストラリアに滞在できるビザで、

4か月までなら学校に行ってもよし、

アルバイトしてもよし、

オーストラリア一周する旅行をしてもよし。

 

当時は30歳までが申請のリミットでした。

(今は35歳までなら申請できるようですグッ

 

なら、今使わないと損かな、とか思って爆  笑

 

日本語教師を実際に経験してみて、

本当に大学院行ってまでやりたいことなのか、

慎重に判断する時間としてみよう、

と思いました。

 

なぜなら大学院の学費がメチャクチャ高額!

だからです・・・$$$

 

留学生は特に・・・1年半で200万円は

してました。

 

 

まず土曜の日本語学校でのボランティアを始めたのですが、とってもいい経験になりました。

 

ほとんどの子どもたちが

お父さんかお母さんが日本人で、

オーストラリアで生まれ育っている環境。

 

日本語がペラペラな子もいれば、

普段は家庭で英語を話していて、

日本語学校ではシャイになってしまったり。

 

色々な家庭環境があるので、

日本語できるできないで、

その子の能力を判断してはいけない

 

中学生のクラス担当になり、

日本の子どもたちとやっぱり違うなと思ったことは、

 

生徒たちが自分の意見をハッキリと言う!

感情を表に出す!

 

大学時代に塾講師のアルバイトで

中学生のクラスを教えたことがあったのですが、

 

反応が乏しくて、

わかっているかわかってないかわからない・・・

ということが多々あったので・・・

 

(それは多分私の授業がダメダメだったからなのですがあせる

 

反抗期なので、ちょっと生意気な態度のこともあるけれど、

これだけ反応がハッキリしていると、

先生としても改善するための対策も練りやすいし、

 

基本的には素直でとてもいい子たちでした爆  笑

 

このときの担任の先生もとても素敵な方で、

私が将来日本語教師になりたいと本気で思っていると伝えたら、

「授業やってみる?」

と一回クラスを任せてくださったんです。

 

実は私、身内に障がい者がいるのですが、

彼はスポーツをしています。

 

ちょうど北京オリンピックの年だったので、

障がい者スポーツの紹介をさせてくれました。

 

生徒たちもすごく興味津々に授業を聞いてくれて

私もまた自信をつけさせてもらいましたキラキラ

 

同じころ、ボランティアをしながら、

個人経営の日本語学校にも履歴書を送ってみたところ、

1か月の研修期間を経て、雇っていただけることになりました。

 

日本の大学のゼミでも、

教育実習でも、

何度も教案を書いて手書きの絵カードを準備して・・・

 

とやっていたので覚悟していましたが、

やっぱりお金をいただいて教えるのは責任がぐっと重くなるため、

ずーっと授業準備をしているような状況になりました。

 

でもそれが全く苦じゃないチュー

 

生徒さんたちはほとんどが高校生以上で、

日本語を勉強する気がある人たちなので、

とても楽しく教えられました。

 

そこで、もっとクラスを担当してくれないか、

とオーナーの先生に頼まれました。

 

そのうちの2つが土曜日のクラスでしたので、

ボランティアを続けるか迷いましたが、

 

やっぱり自分で教案を書いて教えることのほうが身になると感じ、

いったんボランティアは辞めさせていただくことにしました。

 

長くなりそうなので、いったんこの辺で!

次回は、この語学学校での経験について書きます!