毎度
知らない間に、もう3月が始まってるじゃないの・・
2月は逃げると言うけど、1月も2月も逃げた・・
どこ行ったんだ?
どんどん呆けつつある脳みそ
いかんなあ・・
完全に呆ける前にバイクについて思う事を書いとくね
事前に言っときます めちゃ長文です
●50歳を過ぎての遅咲き
私がバイクに乗り始めたのは、実は50歳を過ぎてから
なので、遅咲きにもほどがある
ずっと関心が無かった訳ではないが、生身をさらして走るバイクの危険性を過度に評価し、敬遠して来た様な気がするんだけど、そんな理屈も今は忘れちまった
50歳を過ぎて子ども達も独り立ちしたし、もういいかなと乗り始めた 最初は四輪の免許で乗れる三輪バイクからね
偉そうに四輪普通免許で乗っとります
●日本二周
今現在65歳の私(2024年3月時点) 還暦を軽くオーバー
実はこれまでにバイクでほぼ日本二周を走ってきた 50歳を過ぎてから乗り始めたにしては、我ながらよく走ってると思う
(下の図は6年前の物 赤線は走った軌跡 今はもっと真っ赤になってる筈だが更新する気力が湧かないので古いまま すみません)
ほぼ二周と表現したがこういう理由
そもそも日本一周に定義は無い
少なくとも、北海道・本州・四国・九州の4島を走らないといけないのは明らかだが、それ以外に制約は無い
なので、4島の海べりをぐるっと回っただけでも日本一周したと言っていいだろう
でも、海べりだけでは内陸部がすっぽり抜けてしまう
胸を張って日本一周と言うためには、内陸部もそこそこ走ってないといけないと私は思った
なので、まずは海べりをメインに日本一周した その上で、更に中を埋める様にもう一周した
つまり二周して「やっと本当の日本一周」をしたと言える様な気がするわけ
そんな具合なので、日本一周すら達成していないうちから「日本二周を目指しています!」とずっと吹聴して来たオッサン
やっぱり私は理屈好きの変わり者(いわゆる面倒臭い奴)なんだと改めて思う
●日本二周なんて実はどうでもいいこと
一方で、偉そうに日本二周なんて言っているけど実はどうでもいいことだ
バイクで走り始めると日本には感動がわんさかある事に気付いた
知っているつもりだった日本
でも、走り続けていると、「知らない所をもっと見てみたい、もっと感動を覚えたい」そんな気持ちが貪欲に沸き起こったのを思い出す(←呆けかけてても感動は記憶に残るらしい)
日本二周を目指した訳ではなく、「知らない場所は見てやろう!」
そんなモチベーションを続けていたら結果的にそうなったという事だ
どうせ走るなら抜けの無い様に走りたいよね、知らない日本をもっと見てみたいよね、そんな思いで走り続けて来た
さらに、人に言う時に「日本二周」ってキャッチ―じゃん
なんとなくすごそうに聞こえるし
日本一周した人なんていくらでもいるけど、二周となると少し減るんかな・・
●高速は乗らないよ
人それぞれだけど、私にとって高速道路をひたすら走って日本を一周する行為はあまり意味を持たない
高速道路で走り抜けても人々の生活が見える訳でも、触れ合える訳でもない
物理的に日本を一周した事に違いは無いし、誰にでも簡単に出来る事ではないんだけどね
でも、高速だけひたすら走って何が見えるんだと・・
走り終わった時に「何かを語れる旅」にしたい私は高速を使わずに下道に限定して(ほぼ)日本二周を達成して来た
日本二周を達成してからはガンガン高速で走っているけど・・
●移動速度と触れ合い
地元と旅人の触れ合いは移動速度に反比例すると思う
新幹線や飛行機でぴゅーんと通過すれば触れ合いは皆無 ゼロである
列車移動でも同じだが、車やバイクも高速道路だと地元は見えない
でも、下道を移動すれば、いろんなことが見えて来る
バイク→自転車→徒歩と移動速度が遅くなるほど体験や触れ合いが濃くなる気がする
私はそんな触れ合いの中にこそ旅の醍醐味がある様に思えてならない
本当に濃い触れ合いをしたかったら徒歩旅がいいのだが、仕事をしながら使える時間は限られる
いい歳したオッサンが仕事を放ったらかしにして「日本一周の旅に出ます」と言ったところで、世間の目は冷たい
そんな事は責任ある社会人になる前に片付けとけよって・・
で、日常生活とのバランスを取って私は年休を消化しながら走り回った 自分ではバランスを取ったつもりだったが、しょっちゅういなくなる奴への会社の評価は・・ね・・
●同じ目線で
直に地元の方とお話が出来れば濃い体験となるが、必ずしもそれだけが触れ合いではない
話が出来なくても、住民と同じ目線で、同じ移動速度で街を・生活を見ることで何かを感じ取ることが出来ると思っている
家の外観・構造や集落の形を見ているだけでも土地による違いを感じる事は多い
立ち止まって休憩している時に聞こえて来る地元の年配の方の会話からも、日本って広いなあと感じると同時に 逆に、どこに行っても庶民の暮らしは大差が無いなあと感じたりもする 海外出張で現地の人と数日でも時間を過ごせば感じる「あの感覚」と同じかな
そんな旅をしながら気が付いたら日本一周をしていた・・なんて格好いいじゃない? え? あかん? 笑
●五感
同じ旅でもバイクは五感をフルに働かせて移動する
天気がすぐれない時は空を仰いで雨を心配し、降ったら降ったでまさにレインスーツやヘルメットを通して雨を肌や音で感じて走る事になる
寒い時は寒く、暑い時は本当に暑く、その地域の空気を吸って、正直な所臭い時は臭く、海の香り・山の香り・野焼きの煙を感じながら走る
これはエアコンで快適に空調され、閉ざされた空間で移動する四輪では決して真似の出来ない旅だ
50歳を過ぎてバイクに乗り出して、それは強く感じた
バイクなんて面倒臭い乗り物だ
ヘルメットやプロテクターを装備し、雨が降ればあたふたとレインスーツを着る 着たと思ったら雨は止んで路肩に停めてレインスーツを脱ぐ
でも、面倒臭い乗り物だけど五感を総動員しながら走る事に愉しみを感じているライダーは多いだろう
いや・・多いんじゃなくて、おそらくすべてのライダーがそこにこそ乗る愉しみを感じ、痛いケツを我慢しスロットルを開け続けているんじゃないだろうか 知らんけど
●楽しさしかないバイク
四輪で行こうが二輪で行こうが旅は楽しいんだけど
四輪で行くと、走行中は同乗者がいれば会話等で盛り上がれるが、独りで運転している限りは、あまり楽しくない
しかしバイクは違う 走っている最中も停めている間もずっと楽しい これは四輪とは全く違う気がする
もちろん、雨に降られるとたちまち「ずっと楽しい」は「ずっとしんどい」に変わってしまうんだけどね
●男のロマン?
バイクは男のロマン、なんて言葉をよく耳にする
でも、男が独占していてはいけない 最近は女性ライダーも増えている印象だけど、女性も是非乗って欲しいし感じて欲しい
●環境破壊?環境保護?
所詮バイクは、化石燃料を燃やして走る環境破壊兵器の一つかも知れない でもね、風を感じて自然の中を走り、時に絶景に言葉を失い、人との触れ合いに新しい発見をすることで「自然や環境、生き方について考える」時間も少なくない
大事なものを守るには「何が大事か」を知ってないと始まらない
人の優しさを経験した事が無い人が人にやさしく出来るだろうか
自然を守ろうとするなら、自然を感じた事があるかどうかは大事な事だ 自然を感じた事のない人からは自然を守るという発想は生まれない
●結論
偉そうに分かったような事を並べたが、走り続けることが出来る限りまだまだ色々な物を見て回りたい 新しいバイクも近日届くみたいだし
自分でバイクを下りると決めるまで、旅は続く
お楽しみはこれからなのだ