外国人が東京を撮った作品だと、Sコッポラの[Lost in Translation]が有名ですし、これを超える作品は出てこないと思っていました。 



しかしこの度観了したヴェンダースの[PERFECT DAYS]も、リアルな日本を切り取った作品でしたので、よくある(ここは変だよ!)が一切なく、スタートから物語に没頭したまま終幕を迎える事が出来た。

ただ、どうしてもヴェンダース+東京となると、小津作品へのオマージュを探そうとするのは仕方ないし、鑑賞中に同じ様な事をした人も多いとおもう。
11月に[秋刀魚の味]を再視聴したばかりだったので、主人公が平山という名前も気になったけれど、下から撮る構図や定点カメラでのシーンは案外少なく、さほど小津っぽい感じがしなかった。



主人公がパティ・スミスやルー・リードを聴き、フォークナーやハイスミスを愛読する姿から、その知的レベルは伺い知れます。
今はトイレ清掃員だけれど、昔は。。という観客の想像力を煽るアイテムとして、極力控えめではあるが、ある種の象徴として音楽や小説は提示されていた様に思う。
70年代NY界隈のロックが挿入されるのはヴェンダース作品としては普通なので、(へぇー、懐かしいなぁ)なんて安心して観ていたら、あの女性歌手が登場して来てハッと驚いたと同時に、(演技、上手いなぁ)と感動しました。

ただ、これらの予定調和を叩き壊した彼女の功績を海外では(多分)理解されないのが歯痒い。

年明けから与党派閥の裏金など、何とも「みみっちい」話題ばかりの日本、そして翳りゆく国の首都東京。
画面越しに観るスカイツリー、首都高、ハイテクトイレは、辛うじてG7メンバーである事の悲しいシンボルの様でもありました。
そして、これらをメンテする人はガラケーとカセットテープと煤けた文庫本片手に、完璧な毎日を送るため「時代」に迎合せず、最低限の資本で生きている。

小津が描いて来た「小市民の日常にある、避けがたい悲しみ」を根底にしながらも、日常的に見落としてしまいそうなモノにフォーカスし、気づかせ、補給してくれる作品だったし、そんな終わりゆく国の首都へのヴェンダースの眼差しは、どこまでも暖かかった。

毎日が面白く、やる気は漲り、心配事など一つもない。
なんて人は何処にもいないんじゃないかな。

年齢を重ねるほど、自分の理想に合わせて、それを演じたり、真似したりして、あたかも「悟った人」のフリをして、今の生活を全力で楽しむ。
こういう人ってスマートだなぁと思います。


因みに、姪っ子の名前はニコちゃんでした。