[浅草キッド]と「世界のキタノ」

この映画は、昭和40年代の浅草を舞台に、そこで暮らす芸人や街の人々の苦悩、逡巡、そして決断がプロットとなっています。

自己肯定感もプライドも高い師匠と、時代の変化を肌で感じながら苦悩する弟子のたけし。
師匠はテレビ出演ではなく、劇場で「人生を変える劇的な出来事」を待っている。
しかし弟子のたけしは、自分の目を信じてテレビに拘り、結果的に師匠と袂を分かつ。
しかし、その後の活躍は周知の通り。




この作品を観ながら、あの人や、あの人を想い出していた。
特にあの人について。
(ていうか、どこの誰の事でっしゃろ?)
プライドの高い人って「自分は特別な存在」であり、人生はエンタメだと思っている。
しかし、自己肯定感は高くてもプライドの低い人は、「自分は凡人」と自覚し、現実を受け入れている様に感じる。
そして、現実を受け入れる事こそが、自分の苦しみを取り除く最善の方法である事も判っている。

「本当の自分はこんなもんじゃない」

これに拘り過ぎることとは、「ないものねだり」と同じなんですよね。



ビートたけしが「世界のキタノ」という側面を持つのも頷ける。