社会的には少数派だけれど、SNSだと逆転してしまうケースが多々ある。
情報的影響と規範的影響で同調する集団、グループと個人の結びつきが強いほど集団凝集性が高い。
簡単に言うと「仲良しグループ」.笑

中高時代、部活やサークルごとの、所謂「仲良しグループ」が幾つかあった。
僕は道場で剣道を習っていたので、いずれのグループにも〝本気”で属していなかったけれど、まれに放課後、どれかの集団と遊ぶ事もあった。

そんな中、文学について意見交換するグループがあって、友達の家に集まっては、直近で読んだ本について感想を言い合ったりした。


今思えばチープな文学論だった筈なのだが、それでも友人の話を聞くのが楽しくもあり刺激されたりもしたが、いつも一緒に行動する事には耐えられなかった。



これはニヒリズムでなく、本質的な好奇心、精神が運動しているからなのだ(と信じたい)


知性には生き抜く勇気が宿っているし、孤独を理解し、知的好奇心が枯れない限り生きていける。


集団の中にいて孤立しない生き方を選択する人。

[沈黙の螺旋]の如く、権力者の支持を得ている人がルールであり、それに賛同する事が正しいと思い込んでいる人達。


この際、本当の孤独に耐えられるか試してみたらどうだろう。

そこを超える事が、本物の〝無知″から抜けられる事であり、知性が備わった事なのだと思う。


※これは、ゴッホの伝記映画を観て感じたことなのです。

死ぬまで自分を信じ抜いた人であり、情熱の消えない人であり、逆境の時にのみ「個体の掟」を発動させた人。

これが本物のマイルールという事だと感じた。

この映画、Wデフォーが笑えるくらい似過ぎていて、冒頭からの引き込まれました。