広島工業大学時代、感じる学歴へのコンプレックスさらに、自分自身にはまだ開花していない能力が何かあるはずとの思い(うぬぼれ)を持ちながら、日々大学生活を過ごしていました(大学のゴルフ部所属【生意気な遊び】し、中国地方の選手権大会へ参加したり、週末のゴルフ場でのバイトを楽しんだり、大学生として当たり前の女子大生とのコンパなどを楽しむ学生生活でした)。確か、2回生の後期交通事故(スピードの出しすぎ)の後、父親(この当時、創業した会社(従業員250名、売り上げ80億円の会社の万年常務取締役)にこっぴどく怒られました!トイレの前の板の間で4時間正座で人生考えさせられました。父いわく「お前の学歴で、将来会社に入っても人間扱いしてもらえると思うな!勉強するのが嫌なら、今すぐ働け!」、などなど。ちょうど同じ時期に、当時広島修道大学の助教授で、我が広工大へ非常勤として「政治学」を教えに来られていた「現・広島市長の秋葉忠利(たしか、アメリカのMIT出身)」先生に、勉強したりないならアメリカの大学院へ行け!と教わり、大学の正規の授業の後週2で広島YMCAの英語教室に通いました(3年間)。地道に勉強すれば、なんとか3年間でTOEFL500は、取れて、23歳(1年間:病気して休学)の時にアメリカへ留学となりました。
そこからの人生面白い出会いの連続!でした。