吉江豊選手入場曲【Wild night】



全日本プロレス 高崎大会 2024.3.10(日)
第3試合 20分1本勝負 
大森北斗&○崔領二
(11分48秒、体固め)
×井上凌&吉江豊
※赤川鉄橋






【訃報】吉江豊選手逝去のお知らせ  


本日開催の高崎大会に出場しておりました吉江豊選手が、2024年3月10日(日)にご逝去されました。

吉江豊選手は、試合終了後に控室に戻った後、体調が急変し、高崎市内の病院へ緊急搬送されましたが、そのまま帰らぬ人となりました。

吉江豊選手のご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。 

全日本プロレス


新日本プロレスなどで活躍したプロレスラーの吉江豊さんが3月10日に亡くなった。50歳だった。全日本プロレスが発表した。 


2024年3月10日、全日本プロレス・Gメッセ群馬メインホール大会に出場し、大森北斗、崔領二組とのタッグマッチ(タッグパートナーの井上凌が崔に敗れた)の試合後、控室で体調が急変し高崎市内の病院に救急搬送されたが、同日夜に死去した。50歳没。関係者によれば、この日の試合は4カ月ぶりの実戦ではあるものの、いつも通りのパワーファイトを見せており、試合中に大きなダメージを浴びる場面は無かったといい、バックステージではコメントも出していたという。

全日本プロレス専務取締役執行役員でもある諏訪魔が吉江死去の報を受けて遺族を弔問に訪れた際に、遺族から「死因は動脈硬化(の悪化)によるもので、プロレスの試合が直接の原因でない」ことを告げられたと明かしている。


吉江豊(よしえゆたか)選手は1974年1月5日、群馬・前橋市生まれ。180センチ・150キロの巨漢を武器にリングを所せましと暴れ回り、その愛くるしい性格からファンからも愛された。 


高校卒業後にプロレスラーを目指し元プロレスラーのアニマル浜口さんが主宰する東京・浅草の「アニマル浜口トレーニングジム」で練習を重ね、94年2月に新日本プロレスに入門した。同年12月9日の小島聡戦でデビュー。

99年からの海外武者修行を経て2000年には永田裕志、中西学、故福田雅一さんらとユニット「G―EGGS」を結成しトップ戦線で活躍した。

2003年6月には棚橋弘至とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得したが2006年1月に新日本を退団。

フリーを経て06年8月からは藤波辰爾が主宰する「無我ワールド・プロレスリング」に所属した。同団体が「ドラディション」となってからも体重160キロを超えるパワーあふれるファイトで所属選手として団体を支え、09年7月にドラディションを退団し、以後、フリーとしてプロレスリング・ノア、全日本などで活躍していた。 


《タイトル歴》
・新日本プロレス 
第44代IWGPタッグ王座(パートナーは棚橋弘至) 
・全日本プロレス 
第69代世界タッグ王座(パートナーは曙) 
・無我ワールド・プロレスリング 
DRAGON CUP 2007年大会優勝 
東京ドームホテルカップ 2007年大会優勝 
・闘龍門 
ヤマハカップ 2008年大会優勝(パートナーはウルティモ・ドラゴン) 
・プロレスリングZERO1 
第37代NWAインターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは将軍岡本) 
風林火山 2017年大会優勝(パートナーは将軍岡本)


ここ最近は漫画家の鳥山明先生・声優のTARAKOさんと訃報が続く中、まさかプロレスラーの吉江豊選手の訃報が…


自分はプロレスラー全員をリスペクトしているので、やっぱりこういう訃報を聞くのは辛いし、悲しいし、本当に淋しいです

とくに吉江選手は新日をよく観ていた時期に活躍していたレスラーの1人だったし、G−EGGSのユニットが好きだったので思い入れもあります

ピンクのコスチュームと様々な髪型とあの何とも言えない笑顔が本当に素敵な選手でした!

死因の原因は動脈硬化の悪化だったらしいですが、最期まで吉江豊選手らしい皆を笑顔にさせてくれる楽しく激しく力強いプロレスを魅せてくれたと思います

最近の日本のプロレス界は吉江選手のような体の大きい巨漢なレスラーが少なくなってきたので、吉江選手の存在はやっぱりデカかったなと思います




素晴らしい試合をありがとうございました
そして本当にお疲れ様でした


吉江豊選手Memorial




































ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申しあげます

とともに心からご冥福をお祈りいたします
See You Again


R.I.P. Yutaka Yoshie