元プロレスラーで、元参議院議員で2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが10月1日7時40分、心不全により亡くなった。自宅で死去した。79歳だった。


難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった猪木さんは20年7月に19年秋に特定疾患に指定されている難病「心アミロイドーシス」に冒されていることを発表。心臓の機能が障害を受ける病気で、病状が進行すると収縮する能力が落ち、心不全や不整脈が発生する可能性もある大病だった。

2、3日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活が続いていた。前日持ち直したが、この日の朝、状態が悪化し自宅で息を引き取った。


リングネーム アントニオ猪木 

本名 猪木 寛至 
ニックネーム 燃える闘魂 
誕生日 1943年2月20日
所属 フリー 
スポーツ歴 陸上 
トレーナー 力道山/豊登/サニー・マイヤース/カール・ゴッチ 
デビュー 1960年9月30日 
引退 1998年4月4日
死没 2022年10月1日(79歳没)


1943年(昭和18年)生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。

米国への武者修行、日本プロレスからの離脱、復帰、追放を経て、71年に女優の倍賞美津子と結婚(後に離婚)。72年に新日本プロレスを立ち上げ、その後プロレス全盛時代を築いた。そして猪木は自身の最強を証明するため、格闘技の英雄アクラム・ペールワン、「熊殺し」の異名をとる空手家ウィリー・ウィリアムスとの対戦など、異種格闘技路線への挑戦を続け、後年の総合格闘技の礎を築いた。76年6月にプロボクシング統一世界ヘビー級王者・モハメド・アリとの「異種格闘技戦」は注目を浴び、世界中にテレビ中継された。

政治家としては89年に「スポーツ平和党」を立ち上げ、「国会に卍固め」、「消費税に延髄斬り」をキャッチフレーズに同年の第15回参議院選挙に比例区から出馬し初当選。史上初のレスラー出身の国会議員となった。

一つの時代が終わった…。


俺が大好きな時代が本当に終わってしまった

アントニオ猪木さんが亡くなった。

猪木ファン云々ではなくプロレス小僧にとってアントニオ猪木というプロレスラーは別格で絶対的な存在だと思います

このブログも本当は昨日アップする予定でしたが…ブログを書いては手を止め思いにふけて…また書き始めての繰り返しで中々進みませんでした

今の日本のプロレスを創り上げたプロレスラーは間違いなくアントニオ猪木だと俺は思っています

プロレスを知りプロレスを好きになりプロレスを語るには必ずしも通る道がアントニオ猪木というプロレスラーの存在だと思います

間違いなくアントニオ猪木に僕らプロレス小僧たちは作られた

確かに力道山やジャイアント馬場など偉大なプロレスラーは居たがプロレスの見せ方を色々な視点で楽しませてくれたのはやっぱりアントニオ猪木さんだと思います

プロレス界にプロレスラーに一番影響を与えファンに夢を見させ幾つもの時代を築きプロレスラーとはこういうモノだと魅せてくれたのがアントニオ猪木でした


マグニチュード岸和田選手も猪木さんをリスペクトしているレスラーの1人で追悼ツイートを投稿しました

兄さんは試合中に猪木さんのムーブを真似て魅せてくれたり…技の一つ一つにアントニオ猪木へのリスペクトを感じる試合が多々ありました


こうして今のプロレスラーはアントニオ猪木のプロレスの血を少なからず引き継いでいる


前田日明さんも追悼ツイートを投稿しました




長州力さんも追悼ツイートを投稿しました




そして猪木さんの一番弟子だった藤波辰爾さんも追悼ツイートを投稿しました




師と仰ぐ猪木さんの訃報について激しく動揺し「気が動転して、言葉が見当たらない…」と言葉を絞り出すと、呼吸を乱しながら「すみません…」と話すのが精いっぱいだったそうです…藤波さんの事が心配です


でもそれぞれのツイートにアントニオ猪木愛を感じるし…泣けてきます


そして猪木さんの闘魂注入ビンタも
見れなくなってしまいましたね

力道山


プロレス第二期

アントニオ猪木&ジャイアント馬場

そしてプロレス第三期の時代は
誰が創るのか?

誰が飛び抜け伝説を作るのか?

ここから新たな闘いが始まる

そして今、新しいプロレスの幕が上がる



燃える闘魂は永遠に…

燃え尽きない。

アントニオ猪木に届け‼️

『いくぞ!イチ、ニッ、サン、ダー!!』

猪木さん、「元気ですかー!」


私は今、感動と感激、そして素晴らしい空間の中に立っています。


心の奥底から湧き上がる、皆さまに対する感謝と熱い想いを止めることが出来ません。

カウントダウンが始まってから、かなりの時間が経ちました。

いよいよ今日が、このガウンの姿が最後となります。

思えば、右も左もわからない一人の青年が力道山の手によって、ブラジルから連れ戻されました。

それから、38年の月日が流れてしまいました。

最初にこのリングに立った時は、興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、今日はこのような大勢の皆さまの前で最後のご挨拶が出来るということは本当に熱い思いで言葉になりません。

私は色紙にいつの日か『闘魂』という文字を書くようになりました。

それを称してある人が『燃える闘魂』と名付けてくれました。

闘魂とは己に打ち勝つこと。

そして、闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。

最後に、私から皆さん…皆さまにメッセージを贈りたいと思います。

人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。

この道をゆけばどうなるものか、
危ぶむなかれ、
危ぶめば道はなし、
踏み出せばその一足が道となり、
その一足が道となる。
迷わず行けよ 
行けばわかるさ。  

ありがとうーーーー!

fromアントニオ猪木1998年4月4日引退記念試合後のスピーチより


ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申しあげます  

と、ともに心からご冥福をお祈りいたします  

長い間本当にお疲れ様でした

そしてありがとうございました