1987年7月18日
ジャパン女子プロレスで行われた
神取忍(当時は神取しのぶ)と
ジャッキー佐藤が
壮絶なセメントマッチを繰り広げた
(シュートマッチ・喧嘩マッチ)





神取忍のデビュー戦の
相手も務めたジャッキー佐藤

奇しくも2人は【10月30日】同じ誕生日

そんな2人が何故あの日
セメントマッチをしたのか?

理由は…?

仕掛けたのは?

すれ違った2人の運命は。


シュートマッチへと至った真実と真相は?




《1987年7月18日》
ジャパン女子プロレス
神奈川県・大和車体工業体育館

○神取しのぶ
(11分21秒 腕絡み) 
×ジャッキー佐藤


ジャパン女子のエースがジャッキー佐藤。
神取はプロレスデビューして1年目。

試合前、神取は「今日はジャッキーさんを30秒で倒す」「あっという間に終わらせたらお客さんに申し訳ないから、はじめの5分はジャッキーさんに合わせる。だから5分30秒かな」と発言している。   


試合は握手でスタート。
レフェリーはグラン浜田。 

はじめはロックアップするなど、通常のプロレスをしている。開始から2分頃に神取が仕掛けた腕ひしぎ逆十字固めがかなりキョーレツである。様子が変わったのはこの直後だ。


スタンドの攻防になり、神取がジャッキーの顔面をナックルで殴り始める。ジャッキーももっと殴ってこいと顔を突き出して挑発している。

今度は神取がマットに四つん這いとなり、ジャッキーに攻めてこいと挑発。ジャッキーはバックから攻めるが、さすがに寝技では神取の方が一枚上手である。神取がすぐ上になってアームロック。さらに馬乗りになってジャッキーの顔面を張る。どんなにボコボコにされても立ち続けるジャッキーの根性がスゴい。さすが、ビューティーペアとして全女のトップを張っていた選手だけはある。

試合開始から4分、一旦場外に出るジャッキー。試合放棄か?と思われたが、再びリングの中へ。 冷静になるため、間を取ったのか。(リングサイドにいた他の選手たちは、試合を見ながら泣いていたという…。)

神取が片足タックルでジャッキーを倒す。ジャッキーもパンチで反撃。両者ともパンチで殴りあう展開。なんだか切ないシーンだ。


神取は下から三角締めを狙うが不発。ならばと神取はアキレス腱固め、さらに逆方エビ固めでキョーレツに絞り上げる。ジャッキーはギブアップしない。後に神取は「関節技は全部本気で極めにいった」と語っている。神取のキムラロック(腕絡み)が決まり、ついにジャッキーがギブアップ。

ジャッキーの腕は脱臼していたという…。


※こちらのブログから引用させて頂きました🙇‍♂️




「あの試合のとき、考えていたことは勝つことじゃないもん。相手の心を折ることだったもん。骨でも、肉でもない、心を折ることを考えてた。苦痛と、見る自由を奪われることと、息ができない恐怖と、この三つがそろって、初めて、心が折れるのよ。」

この試合は「腕がらみ」という柔道由来の関節技でギブアップを奪っている。腕の骨は「折ろうと思えば折れた」が、そうしなかった。「プロである以上、致命的なけがを負わせることはできない」。因縁の対決の終わらせ方として、骨を折る代わりに精神的な部分でダメージや恐怖心を与える「心を折る」という方法を選んだ神取忍の本気さが伝わって来ますよね。

因みに【心が折れる】の起源は神取忍からだったらしいです。




2人の関係も段々とすれ違い始め、普段の何気ないタッグマッチでもギクシャクし始めた。そんな時にある試合でジャッキーが場外でラリアットに行く振りをして神取さんの目に指を入れてきた。 

「へ~、こういうことしていいんだ、プロレスって?山本先生はそんなこと言ってなかったよ」と神取は思ったらしい。
※新日の山本小鉄がコーチをしていた

どうしてジャッキーさんとギクシャクし始めたのか?

ジャッキーさんはずっと女子プロの世界で生きてきて私は違う世界から来たわけで世間の常識が女子プロの世界では非常識、またその逆もあって 「おまえ、何言ってんの?」ってことが多々あった。神取は世間的にはまともなことを言ってるんだけど非常識な女子プロの世界では異端に見えてしまいズレが生じる。

例えば当時の女子プロには公傷制度がなくて試合でケガさせられても「ケガをしたお前が悪い」って世界。でも体一つで生きてきた神取にしたら、仕事でのケガは会社が面倒みてくれなきゃやってられない。でもそういうことを主張すると会社やジャッキーは「全体を乱す」って目で神取を見るようになってきた。

女子プロの世界に“常識”を持ち込むことが悪とされてしまった神取。

で、目に手を入れて来たジャッキーに対して「へえ、プロレスにはそういうやり方があるんだ」って感じで、売られたケンカならって事で「そういうことをするんだったら最初っからそのつもりでやろうよ」という流れに。

神取が「じゃあ、シュートで決着つけよう」と言う事になり、それにジャッキー佐藤側も納得し了承したとの事です。

ジャッキー佐藤との関係が険悪になっていき、嫌がらせをし挑発してくるジャッキー佐藤に対して神取は 「そのつもりなら、そういう(シュート)試合をしましょうよ」 と希望しお互い納得し合いあの試合に繋がった訳ですね。



ブル中野との対談でもジャッキー佐藤さんとの何故シュートマッチへ至ったのかの経緯を話されています

☆18:00頃から話し始めます
※この続きが気になる方はPART2もご覧下さい




当時プロレス雑誌でこの試合の写真を見た時は衝撃だったし、ショックでした。そしてそれから本当に神取忍が大嫌いになりましたw(今は勿論好きですよ!)

神取は確かに強いかもしれない…でもプロレスも出来ないレスラーなんだと。柔道界から鳴り物入りでプロレスデビュー!でもプロレスラーにすらなれないんだと当時小学生だった俺はそう思ったもんです。(嫌なクソガキだろ〜😅)俺はジャッキー佐藤さんのファンでもあったので純粋にそう思ったのかも?しれないですけどね。

当時はケンカマッチの真相はそう詳しく語られる事がなく、うやむやな状態だった様な気がします。

でも試合を観るとジャッキー佐藤も神取のシュートを受け入れている感もあるし、だからもっと殴ってみろと顔も突き出してる。

デビューして1年の神取がシュートを仕掛けたのも凄いし、それを受けたジャッキー佐藤も凄い。

今では2人とも凄いプロレスラーだったんだと本物のプロレスラーだったと思えます!

まぁこの試合がプロレスか?って言ったらまたそれは別の話しですけどね😅

俺はジャッキー佐藤さんは神取忍の事を許していたと思うんですよね。許すと言うか…当時のその気持ちを理解し受け止めていたと言うか。

試合後にジャッキー佐藤はジャッキーは「神取は利用されただけ。炊きつけた黒幕が一番悪い」と言っているので。

当時は神取も若かったし、周りから焚き付けられたのもあったし、変に自信もあったからシュートを仕掛けたのもあるのかもしれないですね。

プロレス界で生きて来たジャッキー佐藤と柔道界で生きて来た神取忍…育って来た環境が違えば考えも違う。きっと神取なりにプロレス界の暗黙のルールに歩み寄ろうと努力した部分もあったと思うが納得出来ない部分もありこのセメントマッチに繋がってしまったんだと思います。

あの試合後から暫くしてジャッキー佐藤が引退してしまった訳ですが…もしあのまま引退せずに残っていて、神取忍とデビル雅美の三本柱だったらジャパン女子もまた解散せずに凄い団体になっていたのかな?と思ったりもしました。

ん〜でも、今回改めて喧嘩マッチを観たけど…やっぱりなんかやるせない気持ちですね

女子プロレスをスターダムに押し上げたのはマッハ文朱ではなく、やっぱりビューティペアであり、ジャッキー佐藤とマキ上田の力だったと思います。ジャッキー佐藤が活躍していた頃は俺は多分3歳前後だったと思うんですが、なんとなくTVでビューティペアを観て凄いな〜!面白いな〜!って思って観ていた記憶があるんですよね。

もしあの当時神取忍がジャッキー佐藤に対してリスペクトをしていたらこんな事にはならなかったのかな?とも思いました。



ジャッキー佐藤さんは1988年3月20日(昭和63年)での試合を最後に現役を引退し、1999年(平成11年)8月9日午前8時41分、胃癌のため神奈川県川崎市の病院で死去。享年41歳だった。



神取もお通夜に出席し 「一度でいいからじっくり話し合って、分かり合いたかった。悔いしか残っていない…。心からごめんなさいと言いたい」 と号泣しながら謝罪のコメントを残しています。




今年ジャッキー佐藤さんの命日から
余談ですが…俺が3才ぐらいの時に町内のお祭りでカラオケ大会があり、飛び入り参加で姉貴(当時12才)とビューティペアの【真赤な青春】を歌って優勝したんだよな〜🎤🎶そしてトロフィーを確か貰ったんです🏆
多分3才そこらの子どもが「ビューチーチャンチャーイ ビューチペアー♪(ビューティサンシャイ ビューティペア)」とか歌ってたら、そりゃ〜反則だよねwそんな思い出話しでした😊
えっ⁉️💦

阿修羅 原の
ゆき子
じゃねぇ〜し🎶




ジャッキー佐藤という
素晴らしいプロレスラーが
確かにいた事を忘れない。