日本プロレス界のタッグ戦線を熱くしたユニット「ロード・ウォリアーズ」のアニマル・ウォリアーさん(本名ジョセフ・マイケル・ロウリネイティス)が死去した。60歳だった。
死因は明らかにされていない。22日、アニマルさんの公式ツイッターで関係者によって公表された。
80~90年代、相棒のホークとともにロード・ウォリアーズとして日米のタッグ戦線で活躍。ホークは03年10月に心臓発作のため46歳で死去していた。
アニマルさんは、ホークとともにロードウォリアーズとして85年3月、全日本プロレスに初来日。アニマル浜口、キラー・カーン組を4分足らずで勝利して衝撃の日本デビューを果たした。
「暴走戦士」などの異名を持ち、ジャンボ鶴田、天龍源一郎らと激闘。89年3月まで全日本に継続参戦後、90年7月からは新日本プロレスに初参戦。一時はホーク、アニマル、パワー・ウォリアー(佐々木健介)の3人でトリプルウォリアーズも結成した。
アニマルさんははモヒカン刈りに顔にペイントを施し、サングラスにレザーベストや巨大なトゲのついたアメリカンフットボールのプロテクターを装着。ホークさんと統一された派手なコスチュームでも注目され、人気を誇っていた。


海外のプロレスラー…ロードウォリアーズのアニマルウォリアーが亡くなった

アニマルの色々な画像を見ていたら哀しみが溢れてしまいブログを書くのに時間が掛かってしまいました

大好きなプロレスラーの一人だっただけにやっぱりショックです

働く様になりお金に余裕が出来よくロードウォリアーズのビデオやTシャツやグッズなど東京のプロレスショップへ買いに行った事を思い出します

パートナーのホークウォリアーも2003年に亡くなってしまい…そしてアニマルまでも

本当に伝説のタッグ屋ザ・ロード・ウォリアーズとなってしまった

でもきっとまた天国でホークとタッグを組んで暴れまくってるかも?しれないですね

初めてロードウォリアーズを知った時は衝撃的でしたよね?今までのアメリカンプロレスとは違う旋風を巻き起こした

昔ながらのザ・アメリカンプロレスみたいなレスリングやムーブやレスラーって俺は大好きです

当時の本とかにロードウォリアーズはネズミを食べていたなどのギミックやタバスコを一気飲みするパフォーマンスなど度肝を抜かれたw

小学生だった俺は純粋に信じたしそんなロードウォリアーズがカッコイイと思ったもんです

ヒールでもベビーでもない立ち位置がまた魅力的だったしロードウォリアーズに似たタッグチームも幾つも誕生した



俺的にはやっぱりロードウォリアーズVSダッドリーボーイズのタッグマッチが実現しなかったのが悔やまれる

二度と観れない幻のカードになってしまった

パワー・ウォリアーこと佐々木健介をパートナーに抜擢して1996年4.29東京ドームでアニマル&ホーク&パワーのトリプル・ウォリアーズを結成した事もありました

そしてホーク亡き後に健介とヘル・ウォリアーズも結成したり…


2002年の全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦では武藤敬司とのタッグでも出場したりとロードウォリアーズ以外でも活躍し日本でも愛されたプロレスラーでした

また一人偉大なプロレスラーがリングからプロレス界から去ってしまった

ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申しあげます
とともに心からご冥福をお祈りいたします



リングネーム:ロード・ウォリアー・アニマル(Road Warrior Animal)
本名:ジョセフ・マイケル・ロウリネイティス(Joseph Michael Laurinaitis

ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称し、ロード・ウォリアー・ホークとのタッグチーム、ロード・ウォリアーズのメンバーとして活躍した。
日本ではアニマル・ウォリアー(Animal Warrior)と呼ばれ、ジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス、ザ・ターミネーターことマーク・ロウリネイティスの実兄としても知られる。息子は元NFL選手のジェームズ・ロウリネイティスである。

トレーナーのエディ・シャーキーにジョージア・チャンピオンシップ・レスリングのブッカーだったオレイ・アンダーソンを紹介され、アンダーソンの斡旋により1982年11月にNWAジョージア地区にてデビュー。ザ・ロード・ウォリアーをリングネームに、バイカー・ギミックのヒールとしてノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションズにも出場したが芽が出ず、ホームタウンのミネソタに帰郷後の1983年6月、幼馴染のマイク・ヘグストランドと共に再びジョージアに登場。ヘグストランドはロード・ウォリアー・ホーク、自身はロード・ウォリアー・アニマルを名乗り、兄弟子でもあるポール・エラリングをマネージャーに迎えたタッグチーム、ロード・ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドゥーム)として再デビューを果たす。以降、日米の各団体を転戦し、各地で爆発的な人気を獲得した。





























ザ・ロード・ウォリアーズ(The RoadWarriors)は、プロレスのタッグチーム、ユニットである。
アメリカ合衆国のプロレスラーであるロード・ウォリアー・ホークとロード・ウォリアー・アニマル(日本では、各々ホーク・ウォリアー、アニマル・ウォリアーと呼称された)によって結成された。

 それぞれ「クラッシャー・フォン・ヘイグ」「ザ・ロード・ウォリアー」のリングネームでデビューしていたマイク・ヘグストランドとジョー・ロウリネイティスが、1983年にNWAジョージア地区(ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)のレスラー兼ブッカーだったオレイ・アンダーソンのブッキングでタッグを結成。マネージャーにはプロレスラーを引退したポール・エラリングが就く。当初はエラリングが率いていたバズ・ソイヤー、ジェイク・ロバーツ、キングコング・バンディ、ザ・スポイラー、アーン・アンダーソンらヒール軍団「リージョン・オブ・ドゥーム」の一員としてデビューした。  タッグ結成を機に、ヘグストランドはロード・ウォリアー・ホーク、ロウリネイティスはロード・ウォリアー・アニマルとリングネームを改め、タッグのチーム名は1981年に公開された映画『Mad Max 2: The Road Warrior』の世界観からザ・ロード・ウォリアーズと名付けられ、外見のイメージも同映画に登場する荒くれ者を踏襲。初来日時には「シカゴで用心棒をしていた」「貧困の時代にはネズミを食べていた」などと宣伝された。



















同様のタッグチームでリージョン・オブ・ドゥーム(Legion of DoomまたはLOD2000)のユニット名でも活動した






アニマル・ウォリアーの自伝本
ロード・ウォリアーズ–破滅と絶頂–も
是非読んでみて下さい📕
必読です‼️