Harley Race Tribute 

8-Time NWA Worlds Heavyweight Champion

https://youtu.be/N0PkgQrOykY




美獣ハーリー・レイスが
…死去した


「ミスタープロレス」「ミスターNWA」と呼ばれたハーリー・レイスさんが1日(日本時間2日)、肺がんによる合併症のために死去した。76歳だった。同日、WWEなどが発表した。今年3月に肺がんを告白し、先月にはイベント出席の移動中に病状が悪化して入院していたという。

60年代から本格的にプロレス界に進出したレイスさんは68年2月、日本プロレスで初来日。ディック・ザ・ブルーザーと組み、BI砲ジャイアント馬場&アントニオ猪木組が保持したインターナショナル・タッグ王座に挑戦した。70年にも猪木、吉村道明組が保持したアジアタッグにも挑戦。72年には坂口征二のUNヘビー級王座にも挑戦した。

73年にドリー・ファンクJr.を下し、NWA世界ヘビー級王座を獲得。同年から全日本プロレスを主戦場とし、馬場、ジャンボ鶴田、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラスを挑戦者に迎え、防衛戦も行った。またWWEの前身WWWEやWWF王者とのダブルタイトル戦にも臨んだ。また82年には鶴田を下し、UNヘビー級王座、馬場からPWFヘビー級王座を奪取していた。

83年にはリック・フレアーを下し、7度目のNWA王座を獲得。80年代初頭までNWAの象徴として存在感を示し、通算8回のNWA王座獲得もあってNWAベルトは通称「レイスモデル」と言われ、本人が所持していた。

86年にはWWFに移籍し、ハルク・ホーガンのWWFヘビー級王座にも挑戦。WWFではアンドレ・ザ・ジャイアントとも共闘した。

交通事故により95年の引退後にはプロレス団体のWLWを主宰し、後進の育成に尽力。日本とのつながりも深く、05年には小橋建太の訪問も受けた。10年11月からはプロレスリング・ノアのGHC管理委員長に就任。米国でノアの選手を育成を受け入れていた。04年にはWWE殿堂入り。13年には9年ぶりに来日し、ノアの有明大会で立会人を務め、14年には新日本プロレス東京ドーム大会で開催されたNWA世界ヘビー級選手権の特別立会人を務めていた。

この日WWEの公式サイトでは「レイスはWWEのトップヒーロー全員と戦い、93,000人のファンの記録的な観客を動員したレッスルマニア3でジャンクヤード・ドッグと戦いました。WWEはその哀悼の意をレイスの家族、友人、そしてファンにささげます」と追悼していた。




俺が愛してやまないプロレスラー
俺が初めて好きになったプロレスラー
俺が一番リスペクトしているプロレスラー
ハーリー・レイスがこの世を去った

ただただショックと言うか…正直ブログを書く気すら起きないくらい気持ちが沈んでいます

プロレスの素晴らしさ・面白さ・凄さ
プロレスラーの生き様・魅せ方・巧さ
プロレスのイロハを教えてくれたのがハーリー・レイスでした

俺がプロレス好きになったルーツがハーリー・レイスなんです

まだ幼かった頃プロレスを好きになり
更にプロレスにのめり込んだキッカケを作ってくれたのがハーリー・レイスでした

俺の中のプロレスの師匠がハーリー・レイスだったんです

アメリカンプロレスが好きなのはやっぱりハーリー・レイスの影響だし…昔ながらのオールドスクールレスリングスタイルなプロレスが好きなのもやっぱりハーリー・レイスの影響です

今のプロレスはスピード重視で技も派手だし見応えもある…だけど大技さえも繋ぎの一つしかなく…一つの技を丁寧に魅せる事もなくただダイナミックさが主流

だから試合が終わってみるとあっという間だが…正直心に残るシーンが少ない

どんな技を掛けたのか?レスラーはどんな顔をして試合をしていたのか?どんなドラマがあったのか?…何一つ残らずただ「こんな技を出したぜ!凄いだろ?」的な感じの試合が多い

確かにそれはそれで面白いが…やっぱり俺は昔ながらのじっくりとプロレスを魅せる
一つの技を丁寧に魅せる
試合運び…レスラー同士の技との会話…駆け引き…固唾を呑んで試合を観る感覚

そういう試合は試合後も一つ一つが心に響き残っている

今のプロレスが好きな方は昔のプロレスはスローリーな感じがして物足りないかも?しれないが…やっぱりじっくりと試合を魅せるプロレスも俺は面白いと思います

相手への攻め方・相手からの受け方・勝ちっぷり・負けっぷり…そんなレスリングを魅せ教えてくれたのがハーリー・レイスでした



俺は今マグニチュード岸和田というプロレスラーを応援していますがマグニチュード岸和田選手にもレイスに通ずるモノがありプロレスに対する姿勢だったり魅せ方だったり生き様だったり…そういう所を俺の中で重ねている部分はあると思います




リングネーム/ハーリー・レイス(Harley Race)
ニックネーム/美獣.ミスタープロレス.キング・オブ・ザ・リング.ハンサム
誕生日/1943.4.11
出身地/アメリカ合衆国・ミズーリ州ノダウェイ郡クイットマン
身長×体重/185cm×122kg
スポーツ歴/レスリング
デビュー/1958年
引退/1995年
死亡日/2019.8.1
必殺技/ダイビングヘッドバット・パイルドライバー・ブレーンバスター・ペンデュラムバックブリーカー・インディアンデスロック・ニードロップ

そしてハーリー・レイスと言えば…
馬場との対戦では、トップロープに登ったところをデッドリー・ドライブで投げられるのがお約束でした
受身技術では当時世界最高レベルと評価されたレイスならではの「見せ場づくり」のムーブである
このムーブはリック・フレアーに受け継がれている

そしてNWA世界ヘビー級王座をはじめ数々のタイトルを獲得しました

レイスはショートタイツとかもシンプルなコスチュームから派手なコスチュームまで着こなしもお洒落でしたよね


OWLのプロレスを好きになった理由もどうぞ
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また一人素晴らしいプロレスラーがこの世を旅立ってしまった

俺が夢中になりプロレスを観ていた頃のレスラーが亡くなってしまうのはやっぱり淋しいです




ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます
とともに、心からご冥福をお祈りいたします

In my deepest sympathy
Thank you for everything
I love you… good bye.

「つべこべ言わずにレスリングしろ」と
あなたのスローガンが聞こえて来ます



【ハーリー・レイス メモリアル】








































【ハーリー・レイス自伝】
プロレスファンの間でその名を知らぬ者はいない伝説のNWA世界ヘビー級チャンピオン、ハーリー・レイス。あのリック・フレアーと並び、チャンピオンの中のチャンピオンと称される彼の生き様が語られる自伝が登場。 

高校生の時にプロのリングに上がった少年時代に始まり、本格的なプロデビュー後、その名を轟かせながらリングで暴れまわった若き日の現役時代。そして1973年にドリー・ファンク・ジュニアを倒し、NWAの王座を手に入れ、1984年までに通算8度の王座についた黄金時代まで、ザ・キングと呼ばれる彼のすべての活躍がこの一冊に収録。 

さらには、全日本プロレスでのジャイアント馬場やジャンボ鶴田との激闘や、現役引退後のマネジャー業や自ら運営するインディー団体WLW(ワールドリーグ・レスリング)での活躍など、王の中の王、男の中の男であるハーリー・レイスの栄光の軌跡が垣間見える一冊。

是非こちらのハーリー・レイスの
自伝もお読み下さい