また一人偉大なレスラーが旅立ってしまった

獄門鬼・監獄レスラーなどの異名を取ったプロレスラーのマサ斎藤さん(75才)2000年に発症したパーキンソン病で闘病中だったマサ斎藤さんはリハビリに励んでいたが容体が急変し7月14日午前1時5分に死去した

最近プロレス界も怪我だったり亡くなられたり引退したりと淋しいニュースがちょいちょい続きますね





マサ斎藤(斎藤昌典)
1942年、東京都出身
(現役時代)180センチ、120キロ
64年、フリースタイルとグレコローマンの全日本アマチュア2冠を制覇、東京五輪ではレスリング重量級フリースタイル代表。明治大学を卒業後、65年に日本プロレス入り。同年6月、デビュー。66年、東京プロレス参戦。同団体が消滅後、フリーとなり、68年渡米。
西海岸を手始めに、フロリダ、カナダ・バンクーバー、ミネアポリスなどを転戦。ニューヨーク(現WWE)参戦中の2年間はマディソン・スクェア・ガーデン(MSG)でメインを張り、AWAでは対ハルク・ホーガンとの全米ツアーで全都市ソールドアウトを記録するなど、トップヒールとして活躍した。全米マットでの王座獲得多数。長年の功績が認められ、2008年に米国(ルー・テーズ)レスリング博物館殿堂入りを果たす。1974年以降、定期的に新日本プロレスに参戦。82年以降は、活動拠点をアメリカに置きながら、長州力の維新軍、ジャパンプロレスにも参加。87年10月、アントニオ猪木との「巌流島の戦い」を機に、ニューヨークからのオファーを断り、帰国。新日本では、主に猪木に対するヒールとしてファンを湧かせ、日本マットでも数多くの伝説を生んだ。選手での活躍以外にも、海外渉外役としても活躍。人気外国人選手の招聘はもとより、ビッグバン・ベイダー、スコット・ノートン、ドン・フライなどを発掘し、無名選手の才能を見抜く目は高く評価された。獣神サンダー・ライガーを本名で呼んだり、“変な日本語”のマイペースでユニークなTV解説でも人気を集めた。99年2月、日本武道館で引退。2000年から発症したかつてない強敵パーキンソン病と格闘を続けていた…。





87年10月に山口の「巌流島」で行われたアントニオ猪木との時間無制限ノーレフェリー、ノールール、無観客マッチは斬新でしたよね?
2時間5分14秒の死闘の末、立会人裁定で敗れた「巌流島決戦」は当時レンタル店でビデオを借りて観たのを覚えています





とくに俺の中で印象に残っているのは1987年5月18日のIWGPヘビー級王座決定リーグ戦でのマサ斎藤VS前田日明戦です
おびただしい血を流す前田日明を容赦なく攻め続けたマサ斎藤の姿勢にプロレスの怖さを知った瞬間でした
12歳だった当時の俺にはトラウマ級な試合でした(笑)





監獄固めや
捻りのあるバックドロップなど説得力のある技を魅せてくれましたよね





2020年の東京オリンピックの聖火ランナーを目指してリハビリを頑張っていたマサ斎藤さん…実現して欲しかったです





最後までGO FOR BROKE精神でプロレス人生を己の人生を駆け抜けたマサ斎藤さん…本当にお疲れ様でした

ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます
とともに、心からご冥福をお祈りいたします