吾妻 ひでお



やけくそ天使 (1) (秋田文庫)/秋田書店

¥679
Amazon.co.jp

吾妻 ひでお(あづま ひでお、1950年[2]2月6日 - )は、日本の男性漫画家。北海道十勝郡浦幌町[2][3]宝町出身。本名は吾妻 日出夫(あづま ひでお)[3]。血液型はO型。
概要[編集]
1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。以後、SF・ナンセンス色の強い作風で徐々に人気をえる。『週刊少年チャンピオン』で当時流行していたハレンチコメディ路線の『ふたりと5人』(1972年~1976年)を連載し、それなりにヒットする。
同連載が終了したのち、マイナー誌等でSF・ロリコン・ナンセンスの要素をふんだんに湛えたマニアックな作品を続々と発表し、「吾妻ブーム」が起こった。 1978年に発表した『不条理日記』は翌1979年に日本SF大会で星雲賞(コミック部門)を受賞、「不条理漫画」というジャンルの開拓者とみなされている[4]。
1979年、日本初のロリコン同人誌『シベール』に作品を発表。自販機本(ビニール本・エロ本)などにもロリコンマンガを発表した。当時、メジャー誌出身の漫画家が同人誌やエロ本に描くことはきわめて異例であり、商業誌、同人誌ともに吾妻はこの分野の開拓者である。
1985年ごろから低迷期に入り、自殺未遂事件や失踪事件を起こし、アルコール依存症治療のため精神病院に入院した。2005年にそれらの体験を描いた『失踪日記』を出版し、注目を浴びた(帯には漫画家のとり・みきとミュージシャンの菊地成孔が推薦文を寄せている)。
2011年、明治大学博物館で展覧会が開かれた[5]。
2013年、西武百貨店池袋本店の西武ギャラリーで原画展が開かれた[6]。
経歴[編集]
初期[編集]
石ノ森章太郎の『マンガ家入門』に触発され漫画家を志す[7]。北海道浦幌高等学校在学中、『COM』主宰のマンガ愛好団体であるぐらこん北海道支部に参加。当時のぐらこん北海道支部には大和和紀や忠津陽子がいた[8]。
1968年に高校を卒業し、漫画家志望の仲間たちと共に上京して凸版印刷に就職するが、1ヶ月で退職[8][9]。板井れんたろうのアシスタントに採用され[10]、仕事のかたわら『週刊少年サンデー』(小学館)[11]や『まんが王』(秋田書店)の読者欄などに無記名のカットやコママンガを描く。
1969年、『まんが王』12月号付録「プロレスなんでも百科」に「リングサイド・クレイジー」を発表[12]。これが漫画家としてのデビュー作である[13]。
1970年、『まんが王』で連載を獲得し独立(「二日酔いダンディー」)[14]。当時の作品は、軽いタッチのギャグ漫画にもかかわらず全体のノリは不条理で、ところどころにSFのエッセンスをちりばめ、アメリカン・ニューシネマの影響も感じさせるという作風であった。このころ、ページ内の1コマを1コママンガとして完結させるという試みを多く行っている。
1972年、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で、ハレンチコメディ路線で売ろうとした編集者の熱心な介入のもとで「ふたりと5人」を連載し、大きな人気を得る。巨根が「ピカー」と光る東大生の先輩は読者に強烈な印象を残した。しかしこれは吾妻にとって不本意な作品であった。吾妻曰く「あーホント、描きなおしたいね、今からでも(笑)。」(2007年『逃亡日記』p.144)。編集者は「ハダカ」(エロ)ばかり要求し、ギャグとSFには無関心だった[15]。吾妻は自分本来の資質とのギャップに悩む[16]。吾妻は連載終了を編集部に再三申し入れたが、人気がなくなるまで受け入れられなかった[17]。
1973年に『プレイコミック』(秋田書店)、1974年には『月刊プリンセス』(同)で連載を開始、青年漫画誌や少女漫画誌へ活動の場を広げる[18]。この時期には週刊連載・月刊連載含め月産130ページの原稿を執筆していた[19]。
私生活では1973年に結婚[8][20]し、1980年に長女、1983年に長男をもうけている[21]。夫人は「ふたりと5人」連載初期までと、失踪後の執筆再開後に吾妻のアシスタントをつとめており、『うつうつひでお日記』等では「アシスタントA」として登場、「アシスタントB」は長女、「アシスタントC」は長男である。夫人は漫画家夫人による4コマ漫画を掲載する「奥様漫画」という企画に4コマ漫画2本を寄稿、商業誌デビュー。吾妻作品に先駆けて長男を漫画デビューさせた。
ブーム期[編集]
1976年に「ふたりと5人」が連載終了。『プレイコミック』連載の「やけくそ天使」、『チャンピオン』連載の「みだれモコ」「チョッキン」などに不条理・SFテイストを復活させはじめる。
1978年には『月刊OUT』で初の特集記事「吾妻ひでおのメロウな世界」が組まれ、同年に創刊した『Peke』などの漫画マニア向け新興誌に執筆する機会が増える。特に『別冊奇想天外SFマンガ大全集Part2』に執筆した「不条理日記」はSF小説のパロディをふんだんに用い、翌1979年の第18回日本SF大会の星雲賞コミック部門を受賞した。同年から不条理・SF系の作品を収録した単行本が続々と刊行され、1980年には『ぱふ』『リュウ』で特集が組まれ、1981年には『奇想天外』臨時増刊として『吾妻ひでお大全集』が発売されるなどブームは最高潮に達した。その半面、1979年末までに一般少年・少女誌での連載がすべて終了、執筆の場は青年誌とマニア誌へ完全に移行した。 この時期、大友克洋、いしかわじゅんとともに、SFマンガのニューウェーブ御三家と呼ばれた。
1977年後半から1983年前半にかけて『月刊プリンセス』及び『100てんコミックス』に連載された「オリンポスのポロン」は「おちゃ女神物語 コロコロポロン」としてアニメ化される[22]。また1980年から1985年にかけて『ポップコーン』及び『ジャストコミック』に連載された「ななこSOS」も1983年にフジテレビ系列でアニメ化され、これが商業的には最も成功した作品となった[23]。
また1979年から沖由加雄、蛭児神建らとともに日本初のロリコン同人誌『シベール』をコミックマーケットで販売。1980年から自動販売機本『少女アリス』(群雄社)などに「純文学シリーズ」と題してロリコン漫画を発表。これを嚆矢として、コミックマーケットではロリコン同人誌が大人気となる[24]。メジャー誌出身の漫画家がポルノ誌に進出したことは周囲に衝撃を与え、1980年代のロリコンブームの立役者とみなされるようになる。
低迷期[編集]
この時期の吾妻の生活は、脚色を加えた上で失踪日記として作品化されている。
1980年代半ばから約8年に渡る沈黙期に入る。その間に二度長い失踪をしている。吾妻は従来より鬱病または躁鬱の傾向があったが、[25]1990年代後半にはアルコール依存症となり入院。
1990年代後半に再び漫画作品を発表し始める。ある出版社に持込みをしたとき、若い編集者は吾妻ひでおのフォロワーの無名のマンガ家と思い、失礼な対応をしたという。
一度目の失踪[編集]
1989年11月 - 1990年2月[26]。一日中酒を飲んでは寝るという生活を繰り返しているうちにうつが重くなり、山で首つり自殺をしようとしたが失敗[27]。そのまま埼玉県入間市[28]の雑木林でホームレス生活を始める。深夜に駅前でシケモクを拾っていたとき、警官に発見・保護された。
二度目の失踪[編集]
1992年4月 - 1992年8月[29]ごろ、大塚英志に『夜の魚』のあとがき(『失踪日記』の最初のエピソード)を宅配便で送ったその足で再び失踪する(西東京市東伏見または小金井公園近辺[30]において)。同年8月ごろ、アル中の上森さん(仮称)にスカウトされて某ガス会社の孫受け会社で配管工として働きはじめる。肉体労働をしていると芸術活動がしたくなり、社内報に四コマ漫画を投稿し採用された。しかし仮名の「東」がメジャー誌で連載していたことがある漫画家だとは誰にも気付かれなかったという[31]。翌年春、“上森さん”に譲られ乗っていた自転車が盗難車だったため、警察の職務質問を受けた際に逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けている。
アルコール依存と治療[編集]
1980年代半ばからさかんに飲酒し、「アル中」と自称していたが、吾妻の場合は2回の失踪を挟んだこともあって、一般的なアルコール依存症患者よりも症状の進行が遅かった。しかし1997年の暮れには手に震えが来る様になっており[32]、1998年春までには重症のアルコール依存症、すなわち眠っている時以外は酒が手離せなくなるという「連続飲酒」状態になっていた[33]。その状態が半年続き、しだいに奇行が多くなりまた自殺未遂なども行う様になり[34]、同年12月25日、家族によって三鷹市の某病院[35]に強制入院させられる[36]。1999年春、三ヶ月の治療プログラム[37]を終了して退院。以後、断酒を続けている。
『失踪日記』出版後[編集]
2005年3月、『失踪日記』を出版。一度目の失踪を描いた「夜を歩く」、二度目の失踪を描いた「街を歩く」、アルコール依存と治療の時期を描いた「アル中病棟」を収録している。出版とともに各メディアで話題となり、第34回日本漫画家協会賞大賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。
テーマの暗さにもかかわらずあっけらかんと描かれているが、吾妻は「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と片づけている[38]。
ギャグ漫画家引退宣言[編集]
『失踪日記』出版当時のインタビュー(『芸術新潮』2005年5月号)などで「仕事は来ないし、限界だし、自分を苦しめるだけなので、ギャグ漫画をやめる」と宣言、公式サイトには「今後は暗い漫画を描くつもり」と書いた。しかしその後も、雑誌連載、単行本のあとがき、公式サイトなどでギャグ要素の強い作品を発表し続けており、結局のところ、やめようとしてもやめられないとのことであるが[39]、植田まさしの様なホームドラマを描いていきたいともしている[40]。
ロリコンブームとの関連[編集]
吾妻ひでおが漫画のロリコンブーム火付け役だったと主張する論客は大塚英志をはじめ複数おり、吾妻が無視できない存在であることは間違いない。
エロ劇画誌の『劇画アリス』や、自販機本の『少女アリス』に作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであり、また『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は純文学シリーズを「最初の確信犯的な“ロリコンまんが”」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている[41]。
1983年「ななこSOS」がアニメ化放映される一方、このような成人向け雑誌出版社との交流を前後して、1970年代末から始まった写真家清岡純子、近藤昌良などの少女ヌード写真集と専門誌の流行が重なり吾妻はそこにイラスト作品などを寄稿している[42]。ロリコンブームの出版物大半は成人向け図書規制または自主規制を課していたが尖鋭化する写真集や雑誌グラビアにたいし1987年捜査当局からわいせつ判断が下され摘発と書類送検(清岡純子の項目参照)されるまで根本しのぶ[43]といった商業CMで活躍する子役モデルが起用されるほど社会的な禁忌意識は薄く[44]、またロリコンと児童ポルノにたいする社会倫理が確立する以前で世論は寛容もしくは無関心だったこと、吾妻の投稿した成人出版物は発行部数が少なく裏の活動が広く知れ渡ること無く表裏ある執筆活動に一般から批判を寄せられることは無かった。
ロリコンブームの一躍を担った月刊コミック雑誌『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『シベール』の同人たちが起用されている。
スター・システム[編集]
Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2014年3月)
彼は手塚治虫的なスター・システムを使ったことでも知られている。ただし、彼の使うスター的キャラクターは変態的、あるいは病的であり、それが特徴でもある。以下に代表的なものをあげる。
吾妻ひでお
作者の戯画化である。「あじましでお」「あるまじろお」などさまざまな呼称が使われる。北海道出身の知人からもらったリンゴ箱を机代わりとして執筆。右目の方が大きく(これは「二重瞼」の表現である。)、ぼさぼさ髪。とてもいじましく、すぐに落ち込む。ロリコン。唐突に顔を出す例が多いが、「ドクターアジマフ」シリーズなどで主役を張っている。登場する際、髪型が違ったりヒゲが有ったり無かったりする。
現実→キャラへのベクトルが高いと髪の毛がベタ黒で無精ひげなど表れる。
さんぞう
肥満体ではげ頭にサングラスをかけている。名前の由来は、そもそもは「きまぐれ悟空」で三蔵法師として登場したため。とにかく素直にスケベ。後に「エスパー三蔵」で主役を張り、「チョコレートデリンジャー」ではあらゆる変態技を駆使する一方で家庭持ちの中年男の悲哀をも表現した。
不気味
やや長髪の下に三白眼、それにマスクをしているやせぎすの男。常に落ち込んでおり、口数少ない。マゾヒスティック。初登場の「ゴタゴタマンション」では“無気味”と表記されていた。「不気味が走る」「とつぜんDr.」で主役を張った。なお、「ドクターアジマフ」シリーズなどに登場するR.ブキミは本キャラクターをリデザインしロボット化したものだが、設定上は別個のキャラクターである。
ナハハ
禿頭、肥満体、大きく見開いた眼、カタレプシーのために開いたままの口。あらゆる表情を示さない。吾妻ひでおキャラでもっとも非人間的とも言える。名前は笑い方から。初登場は「おしゃべりラブ」の大家。大家は彼の定番。「シッコモーロー博士」では天才的科学者として主役を張る。ちなみにカタレプシーで口を開いたままのキャラクターは吾妻作品に頻出する。彼には家族が存在しており、妻は大蛇、長男はトラウマ、次男は忍者である。
伊藤
モブキャラクター。通行人。彼以外にも多数の名も無きモブキャラが、スターシステムとして数多くの作品に登場する(それらのモデルは吾妻と共に北海道から上京してきた友人たち)。
なお、さんぞう、不気味、ナハハは吾妻ひでおの三大変態キャラとも言われる。これが総出演したのが「ひでお童話集」の「3人の王子」で、そこではこの順に「上の王子は変態性欲、次の王子は変態の上に変な顔、下の王子はなんだかわからない」とされている。