マイクロ隊に入った月半ば、キャプテンのところに本部の隊長から連絡が入ったらしい。
「おばあさんが危篤だって、家から連絡来たらしいぞ?」

この類いの連絡は信者の家族がよく使う手である。
家族に教団のことを明かしていない場合、何らかの理由でそれがばれてしまったとき。
或いは、教団を明かしていても、家族の認識が浅く、外部から教団の悪い噂を聴いて、初めて我が子が大変な宗教にはまってしまったことに気付いたときなど。
「どういうことなのか、即刻、帰宅して説明しなさい」
と言いたいところ、教団は信者をなかなか帰宅させないことを知っている家族が、手っ取り早く帰宅させる手段として家族の誰かを病気か危篤だと偽るのである。

キャプテンが私にたずねる。
「反原か?」
反原とは、反原理勢力の略であり、教団の活動に反対する親や支援団体、およびその活動のことを指す。

「多分、そうだと思います。」
…ばれたのは当然だ。
親に明かしていないのに、統一協会とわかる緊急連絡先を教えてしまった自身の投げやりな行動に起因していることはすぐに分かった。
おそらく実家はパニックに陥っていることだろう。

マイクロの車内で伝えられても、すぐに本部に帰ることも出来ず、
こんな事態であっても、前線を歩み続けなければならない。
とりあえずは任地に降りて最寄りの公衆電話から家に連絡することにした。
その前に私がやったのは祖母が本当に危篤なのかを確かめることだった。
以前からの掛かり付けである大学病院に、祖母の入院を確認すると、そのような患者はいないと言われる。
念のため県立病院にも連絡したが、入院している様子はなかった。

祖母の無事を確認出来て一安心であったが、そのことで家族の行動が反原理であることに確信を持つと新たな不安に襲われた。

前線を歩むにあたって、売上金以外の私的に使える所持金は僅かしかなく、公衆電話から遠方の家にかけるのには限界があった。

当時、NTTの「コレクトコール」と言うサービスがあった。所定の3桁の番号にかけて手続きを行うと、着信側に料金を払って貰えるシステムだ。

コレクトコールで家に電話をすると案の定、電話の向こうはパニックになっていた。
正直者の母親が下手な演技で祖母の危篤を訴える。私は極力冷静な声で話すことに努めた。

「悪いけど、おばあちゃんが本当に入院してるかどうか病院に確かめたの。医大にも、県立病院にも。どちらにも入院してなかった。私を帰らせたい為に嘘をついたんでしよ?忙しいから当分帰れない。」
母親は嘘を認め、教団のことをたずねてきた。
とにかく会って話がしたい、と言う。
私はムリだと言い、電話口でしばらく堂々巡りの会話を続けたが、結局、私の方が強引に電話を切るしかなかった。

なんだかんだで時間を費やしたため前線での闘い(珍味売り)が出来ないまま、マイクロに帰った。
そのことをキャプテンに説明し売上ゼロであることを伝えると激しく分別された。
おそらく私が家庭問題のことで大変であることを理解しながらも、全て忘れて前線に専念出来るよう分別したのであろうことは予想できた。

頭では分かるが感情が一つも着いて来なかった。口では、「こんな状況であるがお父様の通られた路程を思えば大したことない。更に決意し直し次のラウンドは実績をあげられるよう頑張る」などとたてまえばかりの心情報告をし続けた。

家からの電話は一度で終わらなかった。連日、何度も緊急連絡先に電話をかけて来ていた。親にしてみれば教団に娘が誘拐されたぐらいの衝撃であったに違いない。
なんとか落ち着かせたいと前線からコレクトコール。堂々巡りで電話を切るが売り上げは上がらず、キャプテンから何度も激しく分別される。

もう限界だった。
キャプテンにリタイアを告げてマイクロを降りてしまえば済むところ、私の変なプライドがそれを許さなかった。

マイクロ隊に入隊して、数日経った時のこと。
別の班の新人メンバーが前線の途中、逃げ出した。と言うニュースが飛び込んできた。
その時には「逃げ出すなんて信じられない」と思っていたが、自分が限界を迎えた時、前例を作った彼女の姿が私の背中を押した。
「私も逃げよう」

奇しくも二番目の姉の嫁ぎ先である某県の某市を任地として与えられていた。逃げるタイミングを見計らっていたが、その日の最終ラウンド、下ろされた任地にあったタクシー店の草むらに珍味を入れたコンテナと売上金の入った財布を隠し、そのままタクシーに乗って姉の住むアパートに向かった。

マイクロから逃げて教団からも離れよう。もう地獄に落ちても構わない、と言う思いだった。
ただ商品のありかだけは隊長に伝えておかなければならない、と言う責任感と私を送り出した青年部長「S」のメンツを潰してはならないと言う思いから、逃げた後、隊長に電話をかけた。

最初、隊長は単にマイクロをリタイアするための電話だと思ったらしいが既に逃げて来ていることと荷物を放置したことを告げると激怒され「勝手にしろ!」と言う言葉を最後にブッツリ電話は切られた。

アパートに転がり込んできた私の姿に姉は驚いていた。チョンマゲ頭にモンペスタイル。おまけに顔は日焼けで真っ黒だった。
「農作業でもしてたの?」

意外にも姉は実家が教団のことでパニックになっていることを何も聴かされていなかった。
事の次第を説明し、私は姉に頼んだ。
「もう統一協会はやめて、今すぐ実家に帰るから、○○ちゃん(姉の名前)、車で連れてかえって!」
姉の返事は
「何言ってるの?私は明日も仕事だし、だいたいあんたはもう成人なんだから信教の自由も許されてるわけだし、親に反対されたからって無理にやめる必要もないんじゃない?
居たかったら、ここには好きなだけ居ていいけど、帰るなら自分で帰りなさい。」
肩透かしを食らい
一気にクールダウンさせられた。

翌朝、姉と姉の夫は仕事に出掛けて行き、独りアパートに残った私は、本棚に並べてあったアルバムを見るともなく眺めていた。

姉が嫁ぐ前、私もまだ非原理時代、家族みんなでカラオケボックスに行ったときの写真が沢山貼られていた。
その時の表情は家族みんなが無邪気に笑っている。
わたしがこのまま統一協会をやめてしまったら、彼らは皆、地獄に落ちてしまう。
そうすればこの笑顔も二度と見ることが出来なくなってしまう。

アルバムを見ながら私は号泣した。

やはり行かなければならない。

再び使命感を取り戻した私は教団に戻る決意をする。もうマイクロ隊には戻れないが自教会に戻り一から出直そう。

帰宅した姉には「実家に帰る」と嘘をついた。
そして、部長の「S」や霊の親が待つ自教会を目指す電車に乗った。