家族を乗せた車が某所に停まり、某建物の一室で、両親、兄、私、の四人での生活が始まった。
祖母がカラオケに行かず
留守番することになっていたのは、母の実家である伯父(母の兄)のところで預かって貰う手筈だったのだ。
実家の商売は、
「都合により暫くの間お休みします」
と言う貼り紙一枚残して
閉めて来たのだと言う。
室内には風呂もトイレも完備されており、外に出ることは出来ない。
食事は兄が外から調達して来る。
常に鍵がかけられた部屋で、私が逃亡しないよう、兄は入り口の傍で休んでいた。
私は、なんとしてもこの部屋から逃げて教団に戻る決意をしていた。
しかしチャンスは一度きりだと覚悟していた。
確実に逃げ出せる計画を練って、一回で成功させなければならない。
もし失敗すれば、家族は警戒を強める。
精神的にも極力、冷静を装っておく必要がある。決して感情的になってはいけない。
策を講じるべく頭を働かせようとするが、新規隊でのノルマ生活の疲れからか、いつの間にか睡魔に襲われ、眠ってしまう。
その部屋に入って数日間は、私も家族も眠り倒していた。
そして唯一、一人になれるスペースだったトイレに入る度に、神への祈りを捧げた。
「愛する天のお父様、
どうか家族をお許し下さい。
私はこのような状況下にあっても
決してサタンに屈することなく、
必ずや教団に帰り、再び氏族のメシアとしての使命を果たします!
どうか天のお父様、お助けください!」
教団内では信者向けに、定期的に
「反原理対策講義」
というものが行われていた。
親の保護・救出(教団に言わせると拉致・監禁)から逃れ、教団に戻って来たメンバーは英雄扱いされていた。
彼らの証しにより、親から逃げるノウハウやそれまでの注意事項など聴かされていた。
◯窓から飛び降りる際は骨折して逃げられなくなる可能性があるので、布団にくるまって飛び降りること。
◯その時に備え体力を落としてはいけないため、断食はしない。
◯室内でも運動をしておく。
◯決して諦めることなく、ひたすら祈る。
等々
いつも監視されているので、窓から飛び降りることはムリだった。
トイレの天井には天井裏に通じる穴らしきものはない。映画のようにはいかないようだ。
昔、「醤油を大量に飲むと死ぬ」と聞いたことがあった。
部屋に醤油さしがあった。この量で死ねるだろうか?取り敢えず救急搬送される程度の量を飲んで、搬送先の病院で監視が弛くなったところで逃げ出すのが良い。
しかしホントに死んだらどうしようもない。
リストカットくらいなら救急搬送からの逃亡は可能であるかもしれない。が、刃物を母親が厳重に管理していた。
いくら考えても確実な逃亡の名案は浮かばなかった。
部屋に来て約一週間程度、経ったころ。
二人の男性が部屋を訪れて来た。
「サタン若しくはサタンの手下だ」と思った。
これから、統一協会の教典であるところの「原理講論」に何が書いてあるのか検証する作業を一緒にしていく、と言うのだ。
いよいよサタンとの直接対決が始まる。
怖くてたまらなかった。
いきなり部屋に来て対決を迫られ
不意討ちを喰らった思いだったが、
その時は、二人の自己紹介程度の話で終わった。部屋を退出する際、K氏が私に質問をして来た。
「大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫をしってる?」
私は頷いた。
「彼女についてどう思う?」
私は率直に意見を述べた。
「国家の命令により大韓航空を爆破することを、正しいことだと信じて多くの人の命を奪ってしまった。とても気の毒な女性だと思います。」
答えたものの、内心は腹立だしかった。
北朝鮮は統一協会が最も敵対視する共産主義国家である。
神の国である韓国とは真逆であるサタンの国の話を引き合いに出して、一体なにが言いたいのだ?
全く意味が分からない。
しかし、その日はそれ以上の話には至らず、
ホッと胸を撫で下ろした。
S氏とK氏。
統一協会の信者に脱会を迫る説得をする仕事。
なんて罪深い人たち!?
末は地獄行きが決まったようなものなのに
どうして、あんなに冷静でいられるのか?
その無神経さを理解出来なかった。
私はトイレで彼らの罪をも許しを乞う祈りを
「愛する天のお父様」にささげた。
翌日、今度はS氏が一人でやって来た。
いよいよ原理講論の検証をしていくのだと言う。
私は「イヤだ」と抵抗したが
どうやら相手は話を聴かなければ帰らない覚悟らしい。
仕方なく、一つの条件を出した。
「話を聴く前に祈祷をさせてください。」
怖かった。怖くてたまらなかった。
その恐怖を乗り越えるために、何とか神様に助けてもらいたかった。
と同時に相手に宣戦布告を告げるつもりだった。
「愛する天のお父様。
これから、たとえどんな話を聴かされようと私はみ旨の為に信仰を貫いて見せます。
原理講論の行間に込められたお父様の心情を汲みながら、これから改めて学んで行きます。どうか、お見守りください。」云々
祈祷を終えるとS氏が言った。
「あなたは、先ほど『行間に込められたお父様の心情』と言いましたが、原理講論は教理を説いた教典です。ならば、その文章そのものをよむだけで、万人に理解出来なければならない。この書物に行間など存在しない!」
完全に私の祈祷を論破され、返す言葉がなかった。
最初にS氏が取り出したのは原理講論ではなく「ファミリー」と言う信者向けの冊子だった。
その中には、幹部の一人の原理講論に対する証しの文章が書き連ねてあった。
文鮮明が原理講論をどれだけ苦労し、また言葉を吟味しながら科学的にも霊的にも模索を続け、書かれたものだと言う話だった。
聴きながら私は「そんなこと当然のこと」
と思っていた。
ファミリーの一説を聴いたあと、原理講論のはじめから、聖書と読み比べたりして色々間違いを指摘されたが、私は聴いたふりをして、内容を全く頭に入れようとしなかった。
一通り聴くと「今日はこの辺で」
と、S氏は帰って行った。
その日、私の心にはまだ教団への揺るぎない信仰が変わらずにあった。